又下に『經』(觀經意)に云ふが如し。「佛韋提に告げたまはく。汝は是凡夫、心想又劣なり、遠く見ること能はず、諸佛如來に異の方便有まして、汝等をして見しむることを致す。夫人佛に白して言さく。我今佛力に因るが故に彼の國土を見たてまつる。若し佛滅後の諸の衆生等は、濁惡不善にして五苦に逼めらる。云何してか極樂世界を見ることを得ん。佛即ち告げて言はく。韋提、汝及び衆生、專心に計念して西方の瑠璃地の下の一切の寶幢、地上の衆寶、室内の莊嚴等を想ふべし。專心に意を注ぐこと、亦上の夫人に同じければ見ることを得べし。即ち云く。一一に之を觀じて極めて了了ならしめよ。閉目開目に皆見ることを得しむ。此の如く想ふ者を名けて粗見と爲す。此を覺想の中の見と謂ふ、故に粗見と云ふ。若し定心三昧、及び口稱三昧を得れば、心眼即ち開けて彼の淨土の一切の莊嚴を見ること、説くとも窮盡すること無けん」と。又此の經を以て證す。一切の凡夫、但心を傾けしむれば定んで見の義有り、應に知るべし。設ひ見聞の者有りとも、驚怪すべからず。何を以ての故に、乃ち彌陀佛の三昧力外に加するに由るが故に見ることを得。故に見佛淨土三昧增上縁と名く。

又下の華座觀の中に説きて云ふが如し。「佛阿難・韋提に告げたまはく。佛當に汝が爲に苦惱を除く法を説くべし。汝當に廣く大衆の爲に分別し解説すべし。是の語を説きたまふ時、無量壽佛・觀音・勢至、聲に應じて來現し、空中に住立したまふ。韋提見て即ち禮す。禮し已りて釋迦佛に白して言さく。我今佛力に因るが故に無量壽佛及び二菩薩を見たてまつることを得たり。若し佛滅後の諸の衆生等は、云何が阿彌陀佛及び二菩薩を觀見たてまつるべき。佛即ち告げて言はく。汝及び衆生、彼の佛を觀たてまつらんと欲はば、當に想念を起すべし。七寶地の上に蓮華の想を作せ。華想成じ已らば、次に當に佛を想ふべし。佛を想ふ時、是の心即ち三十二相に作ると想へ。頂上より下跏趺坐に至る已来、