毎に宮内に在りて、常に佛を見たてまつらんと願じて、遙に耆闍崛山に向ひて、悲泣して敬禮す。佛遙に念を知りて、即ち耆山より沒して王宮に出現したまふ。夫人已に頭を擧げて即ち世尊を見たてまつる。身紫金色にして、寶蓮華に坐したまひ、目連・阿難左右に立侍す。釋・梵空に臨みて華を散じて供養す。夫人佛を見たてまつりて身を擧げて地に投げ、號泣して佛に向ひて哀求し懺悔す。ただ願はくは如來、我を敎へて淸淨業處を觀ぜしめたまへ」と。又こ此の經證の如きは、直夫人のみ心至りて見佛するに非ず、亦未來の凡夫の與に敎を起す。但心に見たてまつらんと願ずること有らん者は、一に夫人に依て心を至して佛を憶せ、定んで見たてまつらんこと疑無し。此れ即ち是彌陀佛、三念願力外に加はるが故に見佛せしめることを得。三力と言ふは、即ち『般舟三昧經』に説きて云ふが如し。一には大誓願力を以て加念するが故に見佛を得。二には三昧定力を以て加念するが故に見佛を得。三には本功德力を以て加念するが故に見佛を得。已下の見佛縁の中、此の義に例同す。故に見佛三昧增上縁と名く。
問て曰く。夫人は福力強勝にして、佛の加念を蒙るが故に見佛す、末法の衆生は罪
深重なり、何に由てか夫人と同例するを得ん。又此の義は甚深廣大なり、一一に具に佛經を引きて以て明證と爲よ。答て曰く。佛は是三達の聖人、六通無障なり。機を觀じて敎を備むらしむ、淺深を擇ばず、但誠に歸せしめよ、何ぞ見たてまつらざらんことを疑はん。即ち『觀經』の下に説きて云ふが如し。
(意)「佛韋提を讚じたまはく、快く此の事を問へり、阿難受持して廣く多衆の爲に佛語を宣説すべし。如來今韋提希及び未來世の一切衆生を敎へて、西方極樂世界を觀ぜしめん。佛願力を以ての故に彼の國土を見るべし。明鏡を執りて自ら面像を見るが如くならん」と。又此の經を以て證す。亦是彌陀佛の三力外に加するが故に見佛を得。故に見佛淨土三昧增上縁と名く。