一切の衆生即ち是因無くして始めて出づるならん。心識若し本因無くして有りといはば、即ち事木石に同じからん。若し木石に同じといはば、則ち六道の因業無けん、因業若し無しといはば凡聖の苦樂因果誰か覺らん、誰か知らん。斯の道理を以て推勘すれば、一切の衆生定んで心識有り。若し心識有れば即ち空際と同時に有りて有らん。若し空際と同時に有りといはば、即ち唯佛と佛とのみ本元を知ることを得ん。行者等自の身心を知るに、空際と同時に有ならば、乃至今身今日まで、惡を斷じ貪を除くこと能はず。一切の煩惱唯增多なることを覺るべし。又釋迦諸佛、同じく勸めて彌陀を專念して、極樂を想觀せしめて、此の一身を盡して命斷に、即ち安樂國に生ぜしむ。豈長時の大益に非ずや。行者等努力努力、勤めて之を行ずべし。常に慚愧を懷きて、仰いで佛恩を謝せよ。應に知るべし。
般舟三昧行道往生讚一卷