微風吹き來れば華の光亂轉す。一一の華の中に各々菩薩有り、一一の光の中に、諸の化佛有り、微瀾廻り流れて轉た相灌注す。安詳に徐に逝いて遲からず疾からず。其の聲微妙にして佛法ならざるは無し。或は苦・空・無我、諸の波羅蜜を演説し、或は十力・無畏・不共法の音を流出す。或は大慈悲の聲、或は無生忍の聲なり。其の所聞に隨ひて、歡喜無量なり。淸淨・寂滅・眞實の義に隨順し、菩薩・聲聞所行の道に隨順す。又、鳧・雁・鴛鴦・

・鷺・鵝・鶴・孔雀・鸚鵡・伽陵頻迦等の百寶色の鳥、晝夜六時に和雅の音を出して、念佛・念法・念比丘僧を讃嘆し、五根・五力・七菩提分を演暢す。三塗苦難の名有ること無く、但自然快樂の音のみ有り。彼の諸の菩薩及び聲聞衆は、寶池に入りて洗浴せん時、淺深念に隨ひて其の心に違せず。心垢を蕩除して、淸明澄潔なり。洗浴し已訖れば、各各自ら去りて、或は空の中に在り、或は樹下に在りて、經を講じ經を誦する者有り、經を受け經を聽く者有り、坐禪する者有り、經行する者有り。其の中に未だ須陀洹を得ざる者は則ち須陀洹を得、乃至未だ阿羅漢を得ざる者は阿羅漢を得、未だ阿惟越致を得ざる者は阿惟越致を得。皆悉く道を得て歡喜ざること莫し。復淸き河有り、底には金沙を布き、淺深寒温は曲さに人の好に從ふ。衆人遊覽して同じく河濱に萃まる。
已上水相 池の畔河の岸に旃檀樹有り、行行相當り、葉葉相次ぎ、紫金の葉、白銀の枝、珊瑚の華、車渠の實、一寶七寶、或は純或は雜、枝葉華菓もて、莊嚴し映飾す。和風時に來りて諸の寶樹を吹けば、羅網微しく動きて妙華徐に落ち、風に隨ひて馥を散じ、水に雜りて芬を流す。況や微妙の音を出して、宮商相和すること、譬へば百千種の樂を同時に倶に作すが如し。聞く者は自然に佛・法・僧を念ず。彼の第六天の万種の音樂も、