其の義を決擇せん。行者繁を厭ふこと勿れ。一には菩提心の行相を明かし、二には利益を明し、三には料簡せん。
[四、正修念佛 作願門 行相]
初に行相とは、總じて之を謂はば願作佛心なり。亦上求菩提・下化衆生の心とも名く。別して之を謂はば四弘誓願なり。此に二種有り。一には縁事の四弘願なり、是即ち衆生縁の慈なり。或は復法縁の慈なり。二には縁理の四弘なり、是無縁の慈悲なり。縁事の四弘と言ふは、一には衆生無邊誓願度なり。應に念ふべし、一切衆生に悉く佛性有り、我皆無餘涅槃に入らしめんと。此の心は即ち是饒益有情戒なり。亦是恩德の心なり、亦是縁因佛性なり、應身の菩提の因なり。二には煩惱無邊誓願斷なり。此は是攝律儀戒なり。亦是斷德の心なり、亦是正因佛性なり、法身の菩提の因なり。三には法門無盡誓願知なり。此は是攝善法戒なり。亦是智德の心なり、亦是了因佛性なり、報身の菩提の因なり。四には無上菩提誓願證なり。此は是佛果菩提を願求するなり。謂く前の三の行願を具足するに由て、三身圓滿の菩提を證得して、還て亦廣く一切衆生を度するなり。二に縁理の願とは、一切の諸法は本來寂靜なり。有に非ず無に非ず、常に非ず斷に非ず、生ぜず滅せず、垢れず淨からず。一色一香も中道に非ずといふこと無し。生死即涅槃、煩惱即菩提なり。一一の塵勞門を翻せば、即ち是八万四千の諸波羅蜜なり。無明變じて明と爲り、氷融けて水と成るが如し。更に遠き物に非ず、餘の處より來るにもあらず。但一念の心に普く皆具足せること、如意珠の如し。寶有るにも非ず、寶無きにも非ず。若し無しと謂はば即ち妄語なり。若し有りと謂はば即ち邪見なり。心を以て知るべからず、言を以て辨ずべからず。衆生は此の不思議、不縛の法の中に於て、而も思想して縛を作し、無脱の法の中に於て、而も脱を求む。是の故に普く法界の一切衆生に於て、大慈悲を起し、四の弘誓を興す。是を順理の發心と名く。