乃至極樂に生れなば自在に佛道を學し、速に菩提を證して究竟して利生せんと。若し常に此の念を懷きて、力に隨ひて修行すれば、渧ること微なりと雖も漸く大器に盈つるが如く、此の心能く巨細の万善を持して、漏落せしめず、必ず菩提に至る。『華嚴經』の入法界品(晋譯卷五九)に云ふが如し。「譬へば金剛の能く大地を持して墜沒せしめざるが如し。菩提の心も亦復是の如し。能く菩薩の一切の願行を持ちて、墜落して三界に沒せしめず」と云云。 問。凡夫は常途の用心に堪へざれば、爾の時の善根は唐捐なりと爲ん。答。若し至誠心もて心に念じ口に言はん。我今日より乃至一善をも己が身の有漏の果報の爲にせず、盡く極樂の爲にし、盡く菩提の爲にせんと。此の心を發して後は所有諸善、若しは覺するにまれ覺せざるにまれ、自然に無上菩提に趣向す。一び渠溝を穿てば、諸水自ら流れ入りて、轉た江河に至り遂に大海に會するが如し。行者も亦爾なり。一び發心して後は諸の善根の水、自然に四弘願の渠に流れ入りて、轉た極樂に生れ、遂に菩提の薩婆若海に會す。何に況や時時に前願を憶念せんをや。具には下の回向門の如し。 問。凡夫は力無ければ、能く捨てんとして捨て難く、或は復貧乏なれば、何なる方便を以てか、心をして理に順はしめんや。答。『寶積經』(卷九三)に云く。「此の如く布施せんに、若し力有ること無くして之を學ぶこと能はず、財を捨つること能はずんば、是の菩薩應に是の如く思惟すべし、我今當に勤めて精進を加へ、時時漸漸に慳貪・恡惜の垢を斷除すべし。我當に勤めて精進を加へ、時時漸漸に財を捨て施與することを學びて、常に我が施心をして增長し廣大ならしめん」と。已上 又『因果經』の偈(卷四)に云く。「若し貧窮の人有りて、財の布施すべきもの無くば、他の施を修するを見ん時に、而も隨喜の心を生ぜよ。隨喜の福報は、施と等しくして異なること無し」と。『十住毘婆沙』(卷八)の偈に云く。「我今是新學なり、善根未だ成就せず。心未だ自在を得ず、願はくは後に當に相與ふべし」と。已上 行者、當に是の如く心を用ふべし。 問。此の中に理を縁として菩提心を發すも、