終に解脱分の法を得ること能はず。若し能く生死の過咎を厭患ひ、深く涅槃の功德と安樂とを見ば、是の如きの人は、復少施・少戒・少聞なりと雖も、即ち能く解脱分の法を獲得せん」と。已上、無量世に於て無量の財を以て無量の人に施し、無量佛所に於て禁戒を受持し、無量世に無量佛所に於て十二部經を受持し讀誦するを、名て多施戒聞と爲し、一把の麨を以て一乞人に施し、一日一夜八禁を受持し、一四句偈を讀むを、少施戒聞と名く。經に廣く説くが如し 是の故に行者、事に隨ひて心を用ふれば、乃至一善だも空しく過ぐる者無けん。『大般若經』(卷五七〇)に云ふが如し。「若し諸の菩薩、深般若波羅密多の方便善巧を行ずれば、一心・一行として空しく過ぎ而も一切智に廻向せざる者有ること無けん」と。已上 問。云何が用心せんや。答。『寶積經』の九十三に云ふが如し。「食を須つものには食を施せ、一切智の力を具足せんが爲の故なり。飮を須つものには飮を施せ、渇愛の力を斷ぜんが爲の故なり。衣を須つものには衣を施せ、無上の慙愧の衣を得んが爲の故なり。坐處を施すは、菩提樹の下に坐せんが爲の故なり。燈明を施すは、佛眼の明を得んが爲の故なり。紙墨等を施すは、大智慧を得んが爲の故なり。藥を施すは、衆生の結使の病を除かんが爲の故なり。是の如く乃至或は自ら財無くば、當に心の施を生すべし。無量無邊の一切衆生を開示することを得んと欲はば、有力にまれ無力にまれ、上の如く布施すべし。是我が善行なり」と。已上、經文甚だ廣し。今之を畧抄す。見るべし 是の如く事に隨ひて常に心願を發せ。願はくは此の衆生をして速に無上道を成ぜしめん。願はくは我是の如くして漸漸に第一の願行を成就し、檀度を圓滿して速に菩提を證し、廣く衆生を度せんと。一の愛語を發し、一の利行を施し、一の善事に同ずるも、此に准じて應に知るべし。若し暫くも一念の惡を制伏せん時にも、應に是の念を作すべし、願はくは我是の如くして漸漸に第二の願行を成就し、諸の惑業を斷じ、速に菩提を證し、廣く衆生を度せんと。若し一文・一義を讀誦し修習せん時にも、應に是の念を作すべし。願はくは我是の如くして漸漸に第三の願行を成就し、諸佛の法を學して、速に菩提を證し、廣く衆生を度せんと。一切の事に觸れて常に用心を作せ。我今身より漸漸に修學し、