又(止觀卷一下)云く。「如來密藏經に説かく。若し人ありて父の縁覺と爲りしを害し、三寶の物を盜み、母の羅漢と爲りしを汙し、不實の事もて佛を謗り、兩舌して賢聖を間て、惡口して聖人を罵り、求法の者を壞亂し、五逆の初業の瞋と、持戒の人の物を奪ふ貪と、邊見の癡と、是を十惡の者と爲す。若し能く如來の因縁の法は我も人も衆生も壽命も無く、無生・無滅にして染も無く著も無し、本性淸淨なりと説きたまふことを知り、又一切法に於て、本性淸淨なりと知りて、解知し信入せん者は、我是の人は地獄及び諸の惡道に趣向すと説かず。何を以ての故に、法には積聚無く、法には集惱無し。一切の法は生ぜず住せず。因縁和合して、生起すること得れども、生じ已れば還滅す。若し心生じ已りて滅すれば、一切の結使も亦生じ已りて滅せん。是の如く解すれば犯す處も無し。若し犯すこと有り住ること有りといはば、是の處有ること無し。百年の闇室に若し燈を燃す時は、闇我は是室の主なり、此に住ること久しければ肯て去らじと言ふべからず。燈若し生じぬれば闇即ち滅するが如しと。其の義も亦是の如し。此の經に具に前の四の菩提心を指すなり」と。已上、彼の經下卷に在り。前の四と言ふは四敎の菩提心を指す 『華嚴經』の入法界品(晋譯卷五九)に云く。「譬へば善見藥王の一切の病を滅するが如く、菩提心の藥も一切衆生の諸の煩惱の病を滅す。 譬へば牛・馬・羊の乳を合して一器に在き、師子の乳を以て彼の器の中に投るるに、餘の乳は消盡して直ちに過ぐること礙無きが如く、如來師子の菩提心の乳もて無量劫に積む所の諸の業煩惱の乳の中に著けば、皆悉く消盡して聲聞・縁覺の法の中に住らざるなり」と。『大般若經』(卷五八四)に云く。「若し諸の菩薩、多く五欲と相應せる非理の作意を發起すと雖も、而も一念無上の菩提相應の心を起さば、即ち能く折滅す」と。已上三文、滅罪益 『入法界品』(晋譯卷五九)に云く。「譬へば人有りて不可壞藥を得れば、一切の怨敵も其の便を得ざるが如く、菩薩摩訶薩も亦復是の如し。菩提心の不可壞の法藥を得れば、一切の煩惱・諸魔・怨敵も壞すること能はざる所なり。