譬へば人有りて住水寶珠を得て其の身に瓔珞とすれば、深き水中に入れども沒溺せざるが如し。菩提心の住水寶珠を得つれば、生死海に入れども、沈沒せず。 譬へば、金剛の百千劫に水中に處けども、爛壞せず亦變異無きが如く、菩提の心も亦復是の如し。無量劫に生死の中に處けども、諸の煩惱業も斷滅すること能はず亦損減すること無し」と。又同じき『經』の法幢菩薩の偈
(晋譯卷二三)に云く。「若し智慧有る人は一念道心を發せば必ず無上尊と成る、愼みで疑惑を生ずること莫れ」と。
已上、終に敗壞せず、必ず菩提益に至る 又『入法界品』
(晋譯卷五九)に云く。「譬へば閻浮檀金は如意寶を除きては、一切の寶に勝れるが如く、菩提の心の閻浮檀金も、亦復是の如し。一切智を除きては、諸の功德に勝れり。 譬へば迦楞毘伽鳥の
の中に在る時に、大勢力有りて、餘の鳥の及ばざるが如く、菩薩摩訶薩も亦復是の如し。生死の
に於て菩提心を發せる功德勢力は、聲聞・縁覺の及ぶこと能はざる所なり。 譬へば波利質多樹の花一日衣に熏ずるに、瞻蔔華・婆師華の千歳熏ずと雖も、及ぶこと能はざる所の如く、菩提心の花も亦復是の如し。一日熏ずる所の功德の香、十方の佛所に徹りて、一切の聲聞・縁覺の無漏智を以て諸の功德を熏ずること、百千劫に於てするも、及ぶこと能はざる所なり。 譬へば金剛の破して全からずと雖も、一切の衆寶の猶及ぶこと能はざるが如く、菩提の心も亦復是の如し。少しく懈怠すと雖も、聲聞・縁覺の諸の功德の寶の及ぶこと能はざる所なり」と。
已上、經中に二百餘の喩へ有り。見るべし 『賢首品』の偈
(晋譯卷六)に云く。「菩薩は生死に於て、最初發心の時、一向に菩提を求むること、堅固にして動ずべからず。彼の一念の功德は、深廣にして涯際無し。如來分別して説きたまはんに、劫を窮むるも盡すこと能はず」と。
此れ發心と言ふは凡聖に通ず。具には『弘決』を見よ 又同じき『經』の偈
(晋譯卷九)に云く。「一切衆生の心は、悉く分別して知るべし。一切刹の微塵も、尚其の數を算ふべく、十方の虚空界も一毛もて猶量るべし。