事の菩提心も亦畢に信施を消すといふことを明せり。其の三『止觀』(卷一下)に『祕密藏經』を引き已りて云く。「初の菩提心、已に能く重重の十惡を除く。況や第二・第三・第四の菩提心をや」と云云。言ふ所の初とは是三藏敎の界内の事を縁ずる菩提心なり。何に況や深く一切衆生は悉く佛性有りと信じて、普く自他共に佛道を成ぜんと願ふこと、豈罪を滅すること無からんや。其の四『唯識論』(成唯識論卷八)に云く。「菩提と有情との實有を執せずば、猛利の悲願を發起するに由無し」と。已上 大士の悲願すら尚有を執して起る。則ち知る、事の願も亦勝利有りといふことを。其の五餘は下の回向門の如し。 問。衆生の本有佛性を信解することは、豈縁理に非ずや。答。此は是大乘至極の道理を信解するなり。必ずしも第一義空相應の觀慧には非ず。 問。『十疑』に『雜集論』(卷一二)を引きて云く。「若しは安樂淨土に生ぜんと願じて、即ち往生を得る者有り。若しは人無垢佛の名を聞きて、即ち阿耨菩提を得る者あり。此は是別時の因にして、全く行あること無し」と。已上 慈恩(西方要決)同じく云く。「願と行と前後するが故に別時と説く、佛を念ずるも即ち生ぜずと謂ふには非ず」と。已上 明かに知る、願有りて行無きは是別時の意なり。云何が上品下生の人、但菩提の願に由て、即ち往生することを得るや。答。大菩提心は功能甚深なり。無量の罪を滅し、無量の福を生ず。故に淨土を求むれば、求むるに隨ひて即ち得。言ふ所の別時の意とは、但自身の爲に極樂を願ひ求むるなり。是四の弘願の廣大の菩提心には非ず。 問。大菩提心に、若し此の力有らば、一切の菩薩、初發心より決定して應に惡趣に墮する者無かるべし。答。菩薩未だ不退の位に至らざる前は、染淨の二心間雜して起る。前念に衆罪を滅すと雖も、後念に更に衆罪を造る。又菩提心に淺深・強弱有り、惡業には久近・定不定有り。是の故に退位にては昇沈不定なり。菩提心に滅罪の力無きには非ず。且く愚管を述ぶるなり。見ん者取捨せよ。