具に『十疑』の如し。應に知るべし、佛を念じて善を修するを業因と爲し、極樂に往生するを花報と爲し、大菩提を證するを果報と爲し、衆生を利益するを本懷と爲すことを。譬へば世間に木を植うれば花を開き、花に因て菓を結び、菓を得て飡受するが如し。 問。念佛の行は、四弘の中に於て是何れの行にか攝するや。答。念佛三昧を修するは、是第三の願行なり。隨ひて伏滅する所有るは、是第二の願行なり。遠近に良縁を結ぶは、是第一の願行なり。功を積み德を累ぬるは第四の願を成ずるなり。自餘の衆善も例して知れ、俟たず。 問。一心に佛を念ぜば、理亦往生すべし、何ぞ要ず經論に菩提の願を勸むるや。答。『大莊嚴論』(智度論卷七意)に云く。「佛國は事大なれば、獨り行の功德もては成就すること能はず、要ず願力を須ひよ。牛の力ありと雖も車を挽くに、要ず御者を須ちて能く至る所有るが如し。佛の國土を淨むるも、願に由て引成す。願力を以ての故に福慧增長す」と。已上 『十住毘婆沙論』(卷一)に云く。「一切の諸法は願を根本と爲す、願を離れては則ち成ぜず。是の故に願を發す」と。又(十住毘婆沙論卷五易行品)云く。「若し人佛に作らんと願じて、心に阿彌陀を念ずれば、時に應じて爲に身を現さん。是の故に我歸命したてまつる」と。已上 大菩提心に、既に此の力有り、是の故に行者要ず此の願を發せ。 問。若し發願せざれば、終に往生せざるや。答。諸師不同なり。有(觀經義疏卷末意?)が云く。「九品生の人は、皆菩提心を發す。其の中品の人は、本是小乘なりと雖も、後に大心を發して彼の國に生ずること得。彼の本の習に由て暫く小果を證す。其の下品の人は、大心を退せりと雖も、而も其の勢力猶在りて生ずることを得」と。慈恩之に同じ 有(玄義分意)が云く。「中下品は、但福分に由て生じ、上品は福分・道分を具して生ず」と云云。 道分とは、是菩提心の行なり。 問。菩提心に諸師の異解あるが如く、淨土を欣ふ心も亦不同なりや。答。大菩提心に、異説有りと雖も、淨土を欣ふ願は、九品に皆應に具すべし。 問。若し淨土の業願に依て報を得ば、人の惡を作りて地獄を願はざるが如き、彼地獄の果報を得べからずや。