答。罪の報は有量なれども、淨土の報は無量なり。二果既に別なり、二因何ぞ一例ならんや。『大論』の第八(卷七)に云ふが如し。「罪福には定報有りと雖も、但作願する者は、小福を修すれども願力有るが故に大果報を得るなり。一切の衆生は皆樂を得んと願ひて、苦を願ふ者無し。是の故に地獄をば願はざるなり。是を以ての故に、福は無量の報有れども、罪報は有量なり」と。略抄 問。何等の法を以てか、世世に大菩提の願を增長して、而も忘失せざらん。答。『十住婆沙』の第三(卷四)の偈に云く。「乃至身命・轉輪聖王の位を失はんも、此に於て尚妄語し諂曲を行ずべからず。能く諸の世間の一切衆生の類をして、諸の菩薩衆に於て、而も恭敬の心を生ぜしめよ。若し人有りて能く是の如き善法を行ぜば、世世に無上菩提の願を增長することを得ん」と。文中亦二十二種の失菩提心の法有り。見るべし

往生要集 卷上末終