或は億劫を經とも應に法を求むべし。我既に深三昧に値遇せり、如何ぞ退屈して勤修せざらんと。行者、此の諸の事に於て、若しは多若しは少、樂に隨ひて憶念せよ。若し憶念すること能はずば、須く卷を披き文に對して、或は決擇し、或は誦詠し、或は戀慕し、或は敬禮すべし。近くは勤心の方便と爲り、遠くは見佛の因縁を結ばん。凡そ三業・四儀に佛の境界を忘るること勿れ。  問。如來の是の如き種種の功德を信受し憶念するに、何なる勝利か有る。答。『度諸佛境界經』に云く。「若し十方世界の微塵等の諸佛及び聲聞衆に於て、百味の飮食、微妙の天衣を施すこと、日日廢せずして、恒沙劫を滿たし、彼の佛の滅後には、一一の佛の爲に、十方界の一一の世界に於て、塵數の塔を起て、衆寶もて莊嚴し、種種に供養すること一日に三時し、日日に廢せずして恒沙劫を滿たし、復无數无量の衆生を敎へて、諸の供養を設けしめんに、若し一人有りて、此の如來の智慧功德の不可思議境界を信ぜば、得る所の功德は、彼よりも勝ること無量ならん」と。取意 又『華嚴』(唐譯本卷二三)の偈に云く。「如來の自在力は、無量劫にも遇ふこと難し。若し一念の信を生ずれば、速やかに無上の道を證す」と。餘は下の利益門の如し。 問。凡夫の行人は、物を逐ひて意移る、何ぞ常に佛を念ずる心を起すことを得んや。答。彼若し直爾に佛を念ずること能はずば、應に事事に寄せて其の心を勸發すべし。謂く遊戲談咲の時は、極樂界の寶池・寶林の中に於て、天人聖衆と與に、是の如く娯樂することを得んと願へ。若し憂苦の時は、諸の衆生と共に苦を離れて極樂に生れんと願へ。若し尊德に對せば、當に極樂に生れて、是の如く世尊に奉へんと願ふべし。若し卑賎を見ば當に極樂に生れて孤獨の類を利樂せんと願ふべし。凡そ人畜を見む毎に、常に應に是の念を作すべし。願はくは此の衆生と共に安樂國に往生せんと。若し飮食せん時は、當に極樂の自然微妙の食を受けんと願ふべし。衣服・臥具、行住坐臥、違縁・順縁、一切准じて知れ。事に寄せて願を作すこと是『華嚴經』等の例なり