往生要集 卷中末

天台首楞嚴院沙門源信撰
[五、助念方法 止惡修善]
第四に止惡修善とは、『觀佛三昧經』(卷一〇)に云く。「此の念佛三昧を、若し成就せんには五の因縁有り。一には持を持ちて犯さず、二には邪見を起さず、三には憍慢を生ぜず、四には恚らず嫉まず、五には勇猛精進して頭燃を救ふが如くす。此の五事を行じて、正しく諸佛の微妙の色身を念じ心をして不退ならしめ、亦當に大乘經典を讀誦すべし。此の功德を以て佛力を念ずるが故に、速疾に无量の諸佛を見たてまつることを得るなり」と。已上  問。此の六種の法は何の義か有るや。答。同じき『經』(觀佛三昧經卷九)に云く。「淨戒を以ての故に、佛の像面を見たてまつること眞金の鏡の如く、了了分明なり」と。又『大論』(卷二二)に云く。「佛は醫王の如く、法は良藥の如く、僧は瞻病人の如く、戒は服藥の禁忌の如し」と。已上 故に知んぬ、設ひ法藥を服すとも、 禁戒を持たずば、煩惱の病患を除愈するに由无し。故に『般舟經』(卷中)に云く。「戒を破ること大さ毛髮の如くするをも得ざれ」と。已上戒已 『觀佛經』(卷一〇)に云く。「若し邪命及び貢高の法を起さば、當に知るべし、此の人は是增上慢にして、佛法を破滅す。多く衆生をして不善の心を起さしめ、和合僧を亂り、異を顯して衆生を惑はす、是惡魔の伴なり。是の如き惡人は、復佛を念ずと雖も、甘露の味を失ふ。此の人は生處、貢高を以ての故に、身恒に卑小にして、下賎の家に生れ、貧窮の諸衰、无量の惡業、以て嚴飾と爲す。是の如き種種衆多の惡事は當に自ら防護して永く生ぜざらしむべし」と。已上邪見憍慢