『六波羅蜜經』
(卷九)に云く。「无量劫の中に諸の善を修行すとも、安忍の力及び智慧の眼无くば、一念の瞋火に燒滅して餘无けん」と。又『遺敎經』に云く。「功德を劫むる賊は瞋恚に過ぎたるは无し」と。又或る所に説きて云く。「能く大利を損ふは瞋に過ぎたるは莫し、一念の因縁も悉く倶
廣劫に修せし所の善を焚滅す。是の故に慇懃に常に捨離せよ」と。『大集』
(卷五〇)の月藏分に无瞋の功德を説きて云く。「常に賢聖とに相會して三昧に着くことを得ん」と。
已上瞋恚 『雙卷經』
(大經卷下)に云く。「今世の恨意は微しく相憎嫉すれども後世には轉た劇しくして大なる怨と成るに至る」と。
云云 又他人を嫉毀するは其の罪甚だ重し。『寶積經』の九十一に云ふが如し。「佛施鹿園に在ましき。時に六十の菩薩有り、業障深重にして諸根闇鈍なりき。佛足を頂禮して悲感流涙し、自ら起つこと能はず。時に佛告げて言はく。汝等應に起つべし、復悲啼して大熱惱を生ずること勿れ。汝曾倶留孫佛の法の中にして、出家して道を爲せしかとも、自ら多聞・持戒・頭陀・少欲に執着せり。時に二の説法する比丘有り、諸の親友多く、名聞利養ありき。汝等嫉妬の心を以て、妄言誹謗して彼の親友と諸の衆生をして隨順の心无く諸の善根を斷ぜしめたり。此の惡業に由て、六十百千歳の中に於て、阿鼻地獄に生ぜり。餘業未だ盡きず、復四十百千歳の中に於て、等活地獄に生じ、復二十百千歳の中に於て、黑繩地獄に生じ、復六十百千歳の中に於て、燒熱地獄に生ぜり。彼より歿し已りて還りて人と爲ることを得たれども、五百世の中、生盲にして目无かりき。在在の所生には正念を忘失して、善根を障礙せり。形容醜缺にして人見ることを憙ばず、常に邊地に生じて貧窮下劣なりき。此より歿し已りて、後末の五百歳の中に於て、法の滅せんと欲する時に、還邊地に於て下劣の家に生れ匱乏飢凍して、正念を忘失せん。設ひ善を修せんと欲すとも、諸の留難多し。五百歳の後に、惡業乃ち滅して、後に阿彌陀佛の極樂世界に生ずることを得ん。