七日を過ぎ已りて後之を見たてまつらん。譬へば夢の中に見る所、晝夜を知らず亦内外を知らざるは、冥き中に在りて蔽礙する所有るに由るが故に見ざるにあらざるが如し。跋陀和、四衆常に是の念を作さん時、諸佛の境界の中、諸の大山・須彌山、其の有らゆる幽冥の處は、悉く爲に開闢して蔽礙する所无けん。是の四衆は天眼を持ちて徹し視るにあらず、天耳を持ちて徹し聽くにあらず、神足を持ちて其の佛刹に到るにあらず、此の間に終りて彼の間に生ずるにあらず、便ち此に坐して之を見るなり。佛言はく。四衆は此の間の國土に於て、阿彌陀佛を念ずるに、專念するが故に之を見たてまつることを得。即ち問へ、何なる法を持ちてか此の國に生ずることを得と。阿彌陀佛報へて言はく。來生せんと欲はば、常に我が名を念じて、休息することを得ること莫くば、即ち來生することを得んと。佛言はく。專念するが故に往生することを得るなり。當に念ずべし、佛身には三十二相・八十種好ありて、巨億の光明徹照し、端正にして比无く、菩薩僧の中に在りて説法したまふことを。色を壞すること莫れ。何を以ての故に、色を壞せざるが故に、佛の色身を念ずるに由るが故に、是の三昧を得。已上、念佛三昧の法を明かす。此の文は彼の經の行品の中に在り。若し覺めて佛を見ずは、夢の中に之を見る 三昧の道場に入らんと欲はん時は、一ら佛敎の方法に依れ。先づ須く道場を料理し、尊像を安置して、香湯もて掃灑すべし。若し佛堂无きも淨房有らば亦得たり、掃灑すること法の如くし、一の佛像を取りて西の壁に安置せよ。行者等、月の一日より八日に至り、或は八日より十五日に至り、或は十五日より廿三日に至り、或は二十三日より三十日に至るまで、月別に四時にするは佳し。行者等、自ら家業の輕重を量り、此の時の中に於て淨行道に入れ。若しは一日乃至七日に、盡く淨衣を須ひ、鞋靺も亦新淨なるを須ひよ。七日の中に、皆須く一食長齋すべし。耎餠・麁飯、隨時の醤菜は儉素節量すべし。道場の中に於て晝夜に心を束ね相續して專ら阿彌陀佛を念ぜよ。心と聲と相續して唯坐し唯立し、七日の内睡眠することを得ざれ。亦時に依て佛を禮し經を誦すべからず、數珠も亦捉るべからず。