此の界の悕望を止めて、唯西方の業を修せり。就中本期する所は、是臨終の十念なり。今既に病の床に臥す、恐れざるべからず。須く目を閇ぢ合掌し、一心に誓期すべし。佛の相好に非ずよりんば、餘の色を見ること勿れ。佛の法音に非ずよりんば、餘の聲を聞くこと勿れ。佛の正敎に非ずよりんば、餘の事を説くこと勿れ。往生の事に非ずよりんば、餘の事を思ふこと勿れ。是の如くして乃至命終の後に、寶蓮臺の上に坐し、彌陀佛の後に從ひ、聖衆に圍遶せられ、十万億の國土を過ぎん間も、亦復是の如くにして、餘の境界を縁ずること勿れ。唯極樂世界の七寶の池の中に至りて、始めて應に目を擧げ合掌して彌陀の尊容を見たてまつり、甚深の法音を聞き、諸佛の功德の香を聞き、法喜禪悅の味を甞め、海會の聖衆を頂禮して、普賢の行願に悟入すべし。今十事有り、當に一心に聽き一心に念ずべし。一一の念毎に疑心を生ずること莫れ。 一には先づ應に大乘の實智を發して生死の由來を知るべし。『大圓覺經』の偈に云ふが如し。「一切の諸の衆生、无始の幻无明は、皆諸の如來の圓覺の心より建立す」と。當に知るべし、生死即涅槃にして、煩惱即菩提なり。圓融无碍にして无二无別なることを。而れども一念の妄心に由て生死界に入りしより來、无明の病に盲ひられて、久しく本覺の道を忘れたり。但し諸法は本來より、常に自ら寂滅の相なれども、幻の如く定性无く、心に隨ひて而も轉變す。是の故に佛子應に三寶を念じ邪を翻して正に歸すべし。然も佛は是醫王、法は是良藥、僧は是瞻病人なり。无明の病を除きて、正見の眼を開き、本覺の道を示して淨土に引攝せんこと、佛・法・僧に如くは无し。是の故に佛子、先づ應に大醫王の想を生じて、一心に佛を念ずべし。南无三世十方一切諸佛。南无本師釋迦牟尼佛。南无藥師琉璃光佛。三念已上 南无阿彌陀佛と。十念已上 次に應に妙良藥の想を生じて、一心に法を念ずべし。南无三世佛母摩訶般若波羅蜜。南无平等大慧妙法蓮華經。