又(觀佛經卷九)云く。「四佛世尊、空より下りて釋迦文佛の床に坐し、讃じて言はく。善いかな善いかな、乃ち能く未來の時の濁惡の衆生の爲に、三世の佛の白毫の光相を説きて、諸の衆生をして罪咎を滅することを得しめたまふ。所以は何ん、我昔曾を念ふに、空王佛の所にして出家して道を學べり。時に四の比丘あり。共に同學と爲りて佛の正法を習ひしに、煩惱心を覆ひて堅く佛法の寶藏を持つこと能はず、不善の業多くして當に惡道に墮せんと。空中に聲有りて比丘に語りて言く。空王如來は、復涅槃したまひ、汝の犯せし所を、救ふ者无しと謂ふと雖も、汝等今塔に入りて像を觀たてまつる。佛の在世と等しくして異有ること无けんと。我空の聲に從ひて、塔に入り像の眉間の白毫を觀て、即ち是の念を作せり、如來在世の光明色身は、此と何ぞ異ならん。佛の大人相、願はくは我が罪を除きたまへと。是の語を作し已りて、大山の崩るるが如く、五體を地に投げて諸の罪を懺悔せり。是より已後、八十億阿僧祇劫、惡道に墮せずして、生生に常に十方の諸佛を見たてまつり、諸佛の所に於て甚深の念佛三昧を受持せり。三昧を得已りしとき、諸佛現前して我に記別を授けたまへり。東方妙喜國の阿閦佛は、即ち第一の比丘是なり。南方歡喜國の寶相佛は、即ち第二の比丘是なり。西方極樂國の无量壽佛は、第三の比丘是なり。北方蓮華莊嚴國の微妙聲佛は、第四の比丘是なり。時に四如來、各々右の手を申べて、阿難が頂を摩で、告げて言はく。汝佛語を持ちて廣く未來の諸の衆生の爲に説けと。三び此を説き已りて、各々光明を放ちて本國に還歸したまへり」と。又(觀佛經卷九)云く。「財首菩薩佛に白して言さく。世尊、我過去无量世の時を念ふに、佛世尊有まして、亦釋迦牟尼と名く。彼の佛の滅後に一の王子有り、名けて金幢と曰ふ。憍慢邪見にして、正法を信ぜず。知識の比丘あり、定自在と名く。王子に告げて言く。世に佛像有り、衆寶もて嚴飾せり、暫く塔に入りて佛の形像を觀たてまつるべしと。時に彼の王子善友の敎に隨ひて、