羅漢の説を聞きて心に瞋恨を生ぜり。壽の修短に隨ひて各々命終らんと欲せしとき、羅漢敎へて南无諸佛と稱せしむ。既に佛を稱し已りて忉利天に生ずることを得たり。乃至 未來世に於て當に佛に作ることを得、南无光照と号くべし」と。第七卷(觀佛經卷九)には文殊自ら過去の寶威德佛に値遇し禮拜せしことを説く。「爾の時に釋迦文佛讃じて言はく。善いかな善いかな。文殊師利は、乃ち昔の時に於て一び佛を禮せしが故に、爾許の无數の諸佛に値ひたてまつることを得たり。何に況や未來に我が諸の弟子の、勤めて佛を觀ぜん者をやと。佛阿難に敕したまはく。汝文殊師利の語を持ちて、遍く大衆及び未來世の衆生に告げよ。若しは能く禮拜せん者、若しは能く念佛せん者、若しは能く佛を觀ぜん者は、當に知るべし、此の人は文殊師利と等しくして異有ること无けん。身を他世に捨てなば、文殊師利等の諸の大菩薩、其の和上と爲らん」と。又(觀佛經卷九意)云く。「時に十方佛、來りて跏趺坐したまへり。東方の善德佛、大衆に告げて言はく。我過去无量世の時を念ふに、佛の世に出でたまへる有り。寶威德上王と号けたり。時に比丘有り。九弟子と與に佛塔に往詣して、佛像を禮拜せり。一の寶像の嚴顯にして觀ずべきを見、禮し已りて諦かに視、偈を説きて讃嘆せり。後の時に命終して悉く東方の寶威德上王佛の國に生れ、大蓮華の中に結跏趺坐して、忽然として化生せり。此より已後恒に佛に値ひたてまつることを得、諸佛の所に於て、淨く梵行を修し、念佛三昧を得たり。三昧を得已りしとき、佛爲に授記したまひ、十方面に於て各々成佛することを得たり。東方の善德佛とは、則ち我が身是なり。東南方の无憂德佛、南方の旃檀德佛、西南方の寶施佛、西方の无量明佛、西北方の華德佛、北方の相德佛、東北方の三乘行佛、上方の廣衆德佛、下方の明德佛、是の如きの十佛は、過去に由て塔を禮し像を觀、一偈もて讃嘆せしに、今十方に於て各々成佛することを得たりと。是の語を説き已りて、釋迦文佛を問訊したまふ。既に問訊し已りて、大光明を放ち、各々本國に還りたまへり」と。