七日して絶えざれば、便ち罪を勉るることを得んと。重ねて之に告げて曰く。愼みて此の法を忘るること莫れ。即便ち飛び去りぬ。王便ち手を叉せて一心に南無佛と稱説すること、晝夜に懈らず、七日にして命終りぬ。魂神泥の門に向ひて南无佛と稱せしに、泥の中の人佛の音聲を聞きて、皆一時に南無佛と言ひしに、泥即ち冷めぬ。比丘爲に法を説き、比丘の母・王、及び泥の中の人、皆度脱を得、後に大に精進して、須陀洹道を得たり」と。已上諸文略抄 『優婆塞戒經』に云く。「善男子、我本往邪見の家に墮し、惑網自ら我を蓋へり。我爾の時に、名を廣利と曰へり。妻は名女にして、精進勇猛し度脱すること无量にして、十善もて化導せり。我爾の時に心に殺獵を生じ、酒肉を貪嗜し、懶惰懈怠にして精進すること能はず。妻時に我に語るらく、其の獵殺を止め、戒めて酒肉を斷ち、勤めて精進を加へなば、地獄の苦惱の患を脱れ、天宮に上生して、一處を與にすることを得んと。我爾の時に殺心止まず、酒肉の美味は割捨すること能はず、精進の心も懶惰にして前まず、天宮は意みを息め地獄の分を受けたり。我爾の時に聚落の内に居し、僧伽藍に近くして、數々槌鍾を聞けり。妻我に語りて言く。事事に能はずんば、槌鍾の聲を聞きしとき、三び彈指して一び佛を稱せよ。身を歛めて自ら恭ひ、憍慢を生ずること莫れ。其れ夜半の如きも此の法を廢すること莫れと。我即ち之を用ひて復捨失すること无かりき。十二年を經て、其の妻命終して、忉利天に生じ、却て後三年にして、我亦壽盡きたり。斷事に經至りしに、我を判じて罪に入れて地獄の門に向はしむ。當に門に入らんとして時に鍾の三聲を聞く、我即ち住立して心に歡喜を生じ、愛樂して厭はず、法の如く三たび彈指して、長聲に佛を唱ふ。聲皆慈悲ありて梵音朗らかに徹る。主事聞き已りて心甚だ愧感し、此れ眞の菩薩なり、云何ぞ錯判せると。即ち遣追還送して天上に往かしむ。既に往き到り已りて、五躰を地に投げ、我が妻を禮敬して白して言く。大師幸にして大恩を義けて如濟拔せらる。乃至菩提まで敎敕に違はず」と。已上 又震旦國には東晉より已來、