[跋]
永觀二年 甲申 冬十一月、天台山延暦寺首楞嚴院に於て斯の文を撰集し、明年夏四月其の功を畢れり。一僧有りて夢みらく、毘沙門天、兩丱の童を將ゐ、來りて告げて云く。源信撰する所の『往生集』は、皆是經論の文なり。一見一聞の倫、无上菩提を證すべし。須く一偈を加へて廣く流布せしむべし。他日夢を語る。故に偈を作りて曰く。
已に聖敎及び正理に依て 衆生を勸進して極樂に生ぜしむ 乃至展轉して一たびも聞かん者 願はくは共に速に无上覺を證せん

佛子源信、暫く本山を離れて、西海道の諸州の名嶽・靈窟に頭陀せるに、適々遠客着岸の日、圖らざるに會面せり。是宿因なり。然るに猶方語未だ通ぜず、歸朝各々促し、更に手札に對して、述ぶるに心懷を以てす。側かに聞く、法公の本朝には、三寶興隆すと、甚だ隨喜す。我が國に東流の敎も、佛日再び中がる。當今極樂界を刻念し、『法華經』に帰依するもの熾盛なり。佛子は是極樂を念ずる其の一なり。本習深きを以ての故に、『往生要集』三卷を著して、觀念に備ふ。夫れ一天の下、一法の中、皆四部の衆なり。何れか親しく何れか疎ならん。故に此の文を以て敢て歸帆に附す。抑々本朝に在りても猶其の拙を慙づ、況や他郷に於てをや。然るに本縁を一願に發せり。縱ひ誹謗する者有らんも、縱ひ讚歎する者有らんも、併に我と共に極樂に往生する縁を結ばん。又先師故慈惠大僧正 諱良源 『觀音讃』を作り、著作郎慶保胤『十六相讃』及び『日本往生傳』を作り、