是盲の因爲り。文字を省略するは、是盲の因に非ず。或は復彼の十法行の中に於て、初の書寫行に文を脱するは、是過なれども、開解等の爲に略抄するは過に非ず、況や今抄する所は多く正文を引き、或は是諸師の出せる所の文なり。又繁き文を出すこと能はざるに至りては、注して或は乃至と云ひ、或は略抄と云ひ、或は取意と云へり。是即ち學者をして本文を勘へ易からしめんと欲してなり。 問。引く所の正文は、誠に信を生ずべし。但屢々私の詞を加へたるは、盍ぞ人の論謗を招かざらんや。答。正文に非ずと雖も、而も理を失はず。若し猶謬有らば、苟くも之を執せざれ。見ん者取捨して正理に順ぜしめよ。若し偏に謗を生ぜば、亦敢て辭せず。『華嚴經』の偈(唐譯卷七五)に云ふが如し。「若し菩薩の種種の行を修行するを見て、善・不善の心を起すこと有りとも、菩薩は皆攝取す」と。當に知るべし、謗を生ぜんも亦是結縁なり。我若し道を得ば、願はくは彼を引攝せん。彼若し道を得ば、願はくは我を引攝せよ。乃至菩提まで互に師弟と爲らん。 問。因論生論、多日筆を染めて身心を劬勞す、其の功无きに非ず、何事をか期するや。答。此の諸の功德に依て、願はくは命終の時に於て彌陀佛の无邊の功德の身を見たてまつることを得ん。我及び餘の信者と、既に彼の佛を見たてまつり已らば、願はくは離垢の眼を得て、无上菩提を證せん。
往生要集 卷下末 終