選擇本願念佛集

源空集
南無阿彌陀佛 往生の業は念佛を本と爲す

[一、二門章]
  道綽禪師、聖道・淨土の二門を立てて、而も聖道を捨てて正しく淨土に歸するの文

『安樂集』の上に云く。「問て曰く。一切衆生に皆佛性有り、遠劫より以來應に多佛に値ふべし。何に因てか今に至るまで、仍自ら生死に輪廻して火宅を出でざるや。答て曰く。大乘の聖敎に依るに、良に二種の勝法を得て以て生死を排はざるに由てなり。是を以て火宅を出でず。何者をか二と爲る。一には謂はく聖道、二には謂はく往生淨土なり。其聖道の一種は今の時證し難し。一には大聖を去ること遙遠なるに由る、二には理深く解微なるに由る。是の故に大集月藏經に云はく。我が末法の時の中に億億の衆生、行を起し道を修せんに、未だ一人も得る者有らじ。當今は末法にして、現に是五濁惡世なり、唯淨土の一門のみ有りて、通入すべき路なり。是故に大經に云はく。若し衆生有りて、縱令一生惡を造れども、命終の時に臨みて、十念相續して、我が名字を稱せんに、若し生れざれば、正覺を取らじと。又復一切衆生、都て自ら量らず。若し大乘に據らば、眞如實相第一義空、曾て未だ心に措かず。若し小乘を論ぜば、見諦修道に修入し、乃至那含・羅漢、五下を斷じ五上を除くこと、道俗を問ふこと無く、未だ其の分有らず。縱ひ人天の果報有るも、