其の佛の本願の義、下に至りて知るべし。 次に雜行は、即ち文に「此の正助二行を除きての外、自餘の諸善を、悉く雜行と名く」と云える是なり。意に云く、雜行無量なり、具に述ぶるに遑あらず但今且く、五種の正行に翻對して、以て五種の雜行を明さん。一には讀誦雜行、二には觀察雜行、三には禮拜雜行、四には稱名雜行、五には讃歎供養雜行なり。第一に讀誦雜行といふは、上の『觀經』等の往生淨土の經を除きて已外、大小乘顯密の諸經に於て受持讀誦するを、悉く讀誦雜行と名く。第二に觀察雜行といふは、上の極樂の依正を除きて已外、大小・顯密・事理の觀行を、皆悉く觀察雜行と名く。第三に禮拜雜行といふは、上の彌陀を禮拜するを除きて已外、一切の諸餘の佛・菩薩等、及び諸の世天等に於て、禮拜恭敬するを、悉く禮拜雜行と名く。第四に稱名雜行といふは、上の彌陀の名號を稱するを除きて已外、自餘の一切の佛・菩薩等、及び諸の世天等の名號を稱するを、悉く稱名雜行と名く。第五に讃歎供養雜行といふは、上の彌陀佛を除きて已外、一切の諸餘の佛・菩薩等、及び諸の世天等に於て、讃歎供養するを、悉く讃歎供養雜行と名く。此の外亦布施・持戒等の無量の行有り。皆雜行の言に攝盡すべし。 次に二行の得失を判ずとは、「若し前の正助二行を修するは、心常に親近し、憶念斷えず、名づけて無間と爲すなり。若し後の雜行を行ずるは、即ち心常に間斷す、回向して生を得べしと雖も、衆て疎雜の行と名く」と即ち其の文なり。 此の文の意を案ずるに、正雜二行に就て五番の相對有り。一には親疎對、二には近遠對、三には有間無間對、四には回向不回向對、五には純雜對なり。 第一に親疎對といふは、先づ親とは、