往生の行と爲る土有り。或いは精進を以て往生の行と爲る土有り。或いは禪定を以て往生の行と爲る土有り。或いは般若を以て 第一義を信ずる等是なり 往生の行と爲る土有り。或いは菩提心を以て往生の行と爲る土有り。或いは六念を以て往生の行と爲る土有り。或いは持經を以て往生の行と爲る土有り。或いは持咒を以て往生の行と爲る土有り。或いは起立塔像、飯食沙門及以び孝養父母、奉事師長等の種種の行を以て各々往生の行と爲る國土等有り。或いは專ら其の國の佛名を稱して往生の行と爲る土有り。此の如く一行を以て一佛土に配することは、是且く一往の義なり。再往之を論ぜば、其の義不定なり。或いは一佛土の中に、多くの行を以て往生の行と爲る土有り。或いは多佛の土の中に、一行を以て通じて往生の行と爲る土有り。是の如く往生の行、種種不同なり。具に述ぶべからず。即ち今前の布施・持戒乃至孝養父母等の諸行を選び捨てて、專稱佛號を選び取る。故に選擇と云ふなり。且く五の願に約して略して選擇を論ず。其の義是の如し。自餘の諸願、之に準へて應に知るべし。 問て曰く。普く諸願に約して、麁惡を選びて捨てて善妙を選び取ること、其の理然るべし。何が故ぞ、第十八の願に、一切の諸行を選び捨てて、唯偏に念佛の一行を選び取りて、往生の本願と爲したまふや。答て曰く。聖意測り難し。輒く解するに能はず。然りと雖も今試みに二義を以て之を解せば、一には勝劣の義、二には難易の義なり。初に勝劣とは、念佛は是勝、餘行は是劣なり。所以は何ん。名號は是萬德の歸する所なり。然れば則ち彌陀一佛の所有四智・三身・十力・四無畏等の一切の内證の功德、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功德、皆悉く阿彌陀佛の名號の中に攝在す。