意、亦選擇の義有り。謂く「二百一十億の諸佛の妙土淸淨の行を攝取す」と云へる是なり。選擇と攝取と、其の言異なりと雖も其の意是同じ。然れば不淸淨の行を捨てて、淸淨の行を取るなり。上の天人の善惡、國土の麁妙、其の義亦然なり。之に準へて應に知るべし。 夫れ四十八願に約して、一往各々選擇攝取の義を論ぜば、第一に無三惡趣の願とは、覩見する所の二百一十億土の中に於て、或いは三惡趣有る國土有り。或いは三惡趣無き國土有り。即ち其の三惡趣有る麁惡の國土を選び捨てて、其の三惡趣無き善妙の國土を選び取る。故に選擇と云ふなり。第二に不更惡趣の願とは、彼の諸佛土の中に於て、或は縱ひ國中に三惡道無しと雖も、其の國の人天、壽終の後に、其の國より去りて、復三惡趣に更る土有り。或は惡道に更らざる土有り。即ち其の惡道に更る麁惡の國土を選び捨てて、其の惡道に更らざる善妙の國土を選び取る。故に選擇と云ふなり。第三に悉皆金色の願とは、彼の諸佛土の中に於て、或いは一土の中に黄白二類の人天有る國土有り。或いは純黄金色の國土有り。即ち黄白二類の麁惡の國土を選び捨てて、黄金一色の善妙の國土を選び取る。故に選擇と云ふなり。第四に無有好醜の願とは、彼の諸佛土の中に於て、或いは人天の形色好醜不同の國土有り。或いは形色一類にして好醜有ること無き國土有り。即ち好醜不同の麁惡の國土を選び捨てて、好醜有ること無き善妙の國土を選び取る。故に選擇と云ふなり。乃至第十八の念佛往生の願とは、彼の諸佛土の中に於て、或いは布施を以て往生の行と爲る土有り。或いは持戒を以て往生の行と爲る土有り。或いは忍辱を以て