至心ならざるを除く」と。
『往生禮讃』に云く。「若し佛を稱して往生する者は、常に六方恒沙等の諸佛の爲に護念せらる。故に護念經と名く。今既に此の增上の誓願有ます、憑むべし。諸の佛子等、何ぞ意を勵まして去かざらんなり」と。
私に問て曰く。唯六方の如來のみ有まして、行者を護念したまふや如何。答て曰く。六方の如來のみに限らず、彌陀・觀音等亦來りて護念したまふ。故に『往生禮讃』に云く。「十往生經に云く。若し衆生有りて、阿彌陀佛を念じて、往生を願ずれば、彼の佛即ち二十五菩薩を遣はして、行者を擁護して、若しは行若しは坐、若しは住若しは臥、若しは晝若しは夜、一切時・一切處に、惡鬼・惡神をして其の便りを得しめざるなり。又觀經に云ふが如し。若し阿彌陀佛を稱し禮念して、彼の國に往生せんと願へば、彼の佛即ち無數の化佛、無數の化觀音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念したまふ。復前の二十五の菩薩等と、百重千重行者を圍遶して、行住坐臥、一切の時處、若しは晝若しは夜を問はず、常に行者を離れたまはず。今既に斯の勝益有ます、憑むべし。願はくは諸の行者、各々至心を須ひて往を求めよ」と。又『觀念法門』に云く。又觀經の下の文の如し。若し人有りて、心を至して常に阿彌陀佛及び二菩薩を念ずれば、觀音・勢至常に行人の與に、勝友知識と作りて、隨逐影護す」と。又(觀念法門)云く。「又般舟三昧經の行品の中に説きて云ふが如し。 佛の言はく若人專ら此の念彌陀佛三昧を行ずれば、常に一切の諸天及び四天大王・龍神八部、隨逐影護し愛樂相見することを得て、永く諸惡鬼神、災障厄難もて、橫に惱亂を加ふること無けんと。具に護持品の中に説くが如し」と。