

「大利」と言うは、小利に対せるの言なり。「無上」と言うは、有上に対せるの言なり。信に知りぬ。大利無上は一乗真実の利益なり。小利有上はすなわちこれ八万四千の仮門なり。

『釈』(散善義)に「専心」と云えるは、すなわち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」と云えるは、すなわち一行なり、二行なきことを形すなり。

いま弥勒付嘱の一念はすなわちこれ一声なり、一声すなわちこれ一念なり、一念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行なり、正行すなわちこれ正業なり、正業すなわちこれ正念なり、正念すなわちこれ念仏なり、すなわちこれ南無阿弥陀仏なり。

しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず。すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵うなり。知るべし、と。