p.192 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)
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一多包容の言なり。
「大利」と言うは、小利に対せるの言なり。「無上」と言うは、有上に対せるの言なり。信に知りぬ。大利無上は一乗真実の利益なり。小利有上はすなわちこれ八万四千の仮門なり。
『釈』
(散善義)
に「専心」と云えるは、すなわち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」と云えるは、すなわち一行なり、二行なきことを形すなり。
いま弥勒付嘱の一念はすなわちこれ一声なり、一声すなわちこれ一念なり、一念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行なり、正行すなわちこれ正業なり、正業すなわちこれ正念なり、正念すなわちこれ念仏なり、すなわちこれ南無阿弥陀仏なり。
しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず。すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵うなり。知るべし、と。
言大利者対小利之言、言無上者対有上之言也。信知、大利無上者一乗真実之利益也。小利有上者則是八万四千仮門也。釈云専心者即一心、形無二心也、云専念者即一行形無二行也。今弥勒付嘱之一念即是一声、一声即是一念、一念即是一行、一行即是正行、正行即是正業、正業即是正念、正念即是念仏、則是南無阿弥陀仏也。
爾者乗大悲願船浮光明広海至徳風静衆禍波転即破無明闇速到無量光明土証大般涅槃遵普賢之徳也、可知。
『安楽集』に云わく、十念相続とは、これ聖者の一つの数の名ならくのみ。すなわちよく念を積み思いを凝らして他事を縁ぜざれば、業道成弁せしめてすなわち罷みぬ。また労しくこれを頭数を記せざれとなり。