木石を以て花觀と爲す。或は金を彫り玉を鏤む、意願充たず。或は營みて百千を備ふれば具に辛苦を受く。此を以の故に大悲心を興したまふ、願は我れ成佛せむに、必ず珍寶具足し嚴麗にして自然に餘有ことを相忘れ、自ら佛道を得しめたまへり。此の莊嚴の事、たとひ毗首羯磨が工妙絶と稱すとも、思を積み想を竭すとも、豈に能く取て圖さむや。「性」は本の義なり、能生既に淨し、所生焉んぞ不淨を得む。故に『經』(維摩經卷上)に言たまはく。「其の心淨きに隨て則佛土淨し」、是の故に「備諸珍寶性具足妙莊嚴」と言たまへり。
无垢光炎熾 明淨曜世間
此の二句は莊嚴妙色功德成就と名く。佛本と何が故ぞ此の莊嚴を起したまふと。有る國土を見そなはすに、優劣不同なり、不同なるを以の故に高下を形とす、高下既に形なれば是非以起る。是非既に起れば長く三有に淪 没倫音 む。是の故に大悲心を興して平等の願を起したまへり。願は我が國土は光炎熾盛にして第一无比ならむ、人天の金色能く奪ふ者有るが如くならじ。云何が相ひ奪ふと、明鏡の如きを金邊に在けば則現ぜず。今日の時中の金を佛在の時の金に比するに則現ぜず、佛在の時の金を閻浮那金に比するに則現ぜず、閻浮那金を大海の中の轉輪王の道中の金沙に比するに則現ぜず、轉輪王の道中の金沙を金山に比するに則現ぜず、金山を須彌山の金に比するに則現ぜず、須彌山の金を三十三天の瓔珞の金に比するに則現ぜず、三十三天の瓔珞の金を炎摩天の金に比するに則現ぜず、炎摩天の金を兜率陀天の金に比するに則現ぜず、兜率陀天の金を化自在天の金に比するに則現ぜず。化自在天の金を他化自在天の金に比するに則現ぜず、