正法誹謗する人は阿鼻大地獄の中に墮て、此の劫若し盡きぬれば復轉じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。是の如く展轉して百千の阿鼻大地獄を逕ふ」といへり。佛出ことを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪極て重きを以の故なり。又正法は即ち是佛法なり。此れ愚癡の人既に誹謗を生ず。安くんぞ佛土に生と願ずる理有らんや。假使ひ但彼安樂に生を貪して生を願ぜば、亦水に非ざる氷、烟无き火を求めむが如し、豈に理を得ること有むや。 問曰。何等の相、是正法を誹謗するや。答曰。若し佛ましまさず、佛の法无し、菩薩无く、菩薩の法无しと言はむ。是の如き等の見、若しは心に自ら解し、若しは他に從ふて其の心を受て決定するを皆誹謗正法と名く。 問曰。是の如き等の計は但是れ己が事なり。衆生に於て何の苦惱有てか五逆の重罪に踰へたるや。答曰。若し諸佛・菩薩、世間・出世間の善道を説て衆生を敎化する者无くば、豈に仁・義・禮・智・信有ることを知むや。是の如き世間の一切の善法皆斷じ、出世間の一切の賢聖皆滅しなむ。汝但五逆罪の重たることを知りて五逆罪の正法无きより生ずることを知らず。是の故に正法を謗ずる人其の罪最も重し。 問曰。『業道經』に言たまはく。「業道は稱の如し。重き者先づ牽く」と。『觀无量壽經』に言たまふが如し。人有りて五逆・十惡を造り諸の不善を具せらむ。惡道に墮して多劫を逕歴して无量の苦を受くべし。命終の時に臨て善知識の敎に遇て南无无量壽佛と稱せむ。是の如き心を至して聲をして絶へざらしめて、十念を具足して便ち安樂淨土に往生して、即ち大乘正定の聚に入て、畢竟じて退せず。三塗の諸の苦と永く隔てむ。先づ牽くの義、理に於て如何ぞ。又曠劫より已來、備に諸の行を造て有漏の法は三界に繋屬せり。但十念阿彌陀佛を念じたてまつるを以て便ち三界を出づ。繋業の義、復云何が欲はむや。