生死の稠林に廻入して、一切衆生を敎化して、共に佛道に向かへしめるなり。若しは往若しは還、皆衆生を拔て生死海を渡せんが為なり。是の故に「廻向爲首得成就大悲心故」と言たまへり。

觀察躰相は、此の分の中に二の躰有り。一には器躰、二には衆生躰なり。器の分の中に又三重有り。一には國土の躰相、二には自利利他を示現す、三には第一義諦に入る。國土の躰相とは、
云何が彼の佛國土の莊嚴功德を觀察する。彼の佛國土の莊嚴功德は、不可思議力を成就せるが故に。彼の摩尼如意寶性の相似し相對の法なるが如きの故に。
「不可思議力」とは、惣じて彼の佛國土の十七種の莊嚴功德力思議することを得べからざるを指すなり。諸經に統べて言たまはく。五種の不可思議有り。一には衆生多少不可思議、二には業力不可思議、三には龍力不可思議、四には禪定力不可思議、五には佛法力不可思議。此の中の佛土不可思議に二種の力有り。一には業力、謂く法藏菩薩の出世の善根と、大願業力との所成なり。二には正覺の阿彌陀法王善住持力に攝せられたり。此の不可思議は下の十七種の如し。一一の相皆不可思議なり。文に至て當に釋すべし。「彼の摩尼如意寶性、相似し相對の如く」といふは、彼の摩尼如意寶の性に、安樂佛土の不可思議の性を示すなり。諸佛入涅槃の時、方便力を以て、碎身の舍利を留て、以て衆生を福とす。衆生の福盡れば、この舍利變じて摩尼如意寶珠と爲る。此の珠は多く大海の中に有り、大龍王以て首の餝りと爲せり。若し轉輪聖王世に出るときは、慈悲方便を以て能く此の珠を得て、