十六には莊嚴大義門功德成就、十七には莊嚴一切所求滿足功德成就なり。
先づ章門を擧げ、次に續提して釋す。
莊嚴淸淨功德成就とは、偈に觀彼世界相勝過三界道と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なるや、凡夫人の煩惱成就せる有て亦彼の淨土に生ずることを得れば、三界の繋業畢竟じて牽かず。則ち是煩惱を斷ぜずして涅槃分を得。焉んぞ思議すべきや。
莊嚴量功德成就とは、偈に究竟如虚空廣大无邊際と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なるや、彼の國の人天若し意に宮殿・樓閣、若しは廣さ一由旬、若しは百由旬、若しは千由旬、千間万間ならむと欲へば、心に隨ひて成ずる所なり。人各此の如し。又十方世界の衆生、往生を願はくは、若しは已に生れ、若しは今生れ、若しは當に生む。一時一日の頃、算數の其の多少を知ること能はざる所なり。而を彼の世界常に虚空の若し。迫迮の相无し。彼の中の衆生、此の如きの量の中に住して、志願廣大にして、亦虚空の如くして、限量有ること无けむ。彼の國土の量、能く衆生の心行の量を成ず、何ぞ思議すべきや。
莊嚴性功德成就とは、偈に正道大慈悲出世善根生と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、譬ば迦羅求羅虫の其の形微小なれども、若し大風を得れば身大山の如し、風の大小に隨て己れが身相と爲すが如し。安樂に生ずる衆生も亦復是の如し、彼の正道の世界に生れば、即ち出世の善根を成就して正定聚に入ること、亦彼の風の身に非ずして身なるが如し、