焉んぞ思議すべきや。
莊嚴形相功德成就とは、偈に淨光明滿足如鏡日月輪と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、夫れ忍辱は端正を得、我心の影嚮なり。一たび彼こに生ずることを得れば瞋忍の殊无なし。人天の色像平等妙絶なり、蓋し淨光の力なり。彼の光は心行に非ずして心行の事を爲す、焉んぞ思議すべきや。
莊嚴種種事功德成就とは、偈に備諸珍寶性具足妙莊嚴と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、彼の種種の事、或は一寶・十寶・百千種寶、心に隨ひ意に稱ふて具足せざるは无し。若し儵焉化沒无らしめんと欲へば、心に自在を得ること神通に踰えたること有り。安んぞ思議すべきや。
莊嚴妙色功德成就とは、偈に无垢光炎熾明淨曜世間と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる。其の光、事を曜かすに則ち表裏を映徹す、其の光、心を曜かすに則ち終に无明を盡す、光、佛事を爲す、焉んぞ思議すべきや。
莊嚴觸功德成就とは、偈に寶性功德草柔軟左右旋觸者生勝樂過迦旃隣陀と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、夫れ寶の例は堅強なれども此は柔軟なり、觸樂は着すべけども、此は道を增す、事は愛作に同じ、何んぞ思議すべきや。菩薩有り愛作と字く、形容端正にして人の染着を生ず。『經』(寶積經卷一〇六意)に言たまはく。「之に染すれば或は天上に生じ或は菩提心を發す」と。