莊嚴三種功德成就とは、三種の事有り。知るべし、何等をか三種。一には水、二には地、三には虚空なり。
此の三種并べて言ふ所以は、同類なるを以ての故なり。何を以てか之を言ふとなれば、一には六大の類なり、所謂虚空と識と地と水と火と風となり。二には无分別の類なり、所謂地・水・火・風・虚空なり。但三類と言ふは、識の一大は衆生世間に屬するが故に、火の一大は彼の中に无きが故に、風有りと雖も風は見るべからざる故に、住處无きが故に、是を以て六大五類の中に有取りて莊嚴すべし、三種并して之を言ふと。
莊嚴水功德成就とは、偈に寶華千万種彌覆池流泉微風動華葉交錯光亂轉と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、彼の淨土の人天は水穀の身に非ず、何ぞ水を須ゐるや、淸淨成就して洗濯を須ゐず。復何ぞ水を用るや、彼の中には四時无し、常に調適して熱を煩らはず。復何ぞ水を須ゐるや、須ゐずして有なることは當に所以なりき。『經』
(大經卷上)に言はく。「彼の諸の菩薩及び聲聞、若し寶池に入て、意に水をして足を沒しめんと欲へば水即ち足を沒たす、膝に至らしめんと欲へば水即ち膝に至る、腰に至らしめんと欲へば水即ち腰に至る、頸に至らしめんと欲へば水即ち頸に至る、身に灌がしめんと欲へば自然に身に灌ぐ、還復せしめんと欲へば水輒ち還復す。調和冷煖、自然に意に隨て神を開き躰を悅ばしむ、心垢を蕩除し、淸明澄潔にして淨きこと形无きが如し。寶沙映徹して深きをも照らさざること无し、微灡廻流して轉た相ひ灌注す。安祥として徐く逝て遲からず疾からず、波揚がりて无量なり。自然の妙聲、