各各に无量の衆生を佛の正道に安立せしめたまふ」。花佛事を爲す、安んぞ思議すべきや。
莊嚴光明功德成就とは、偈に佛慧明淨日除世癡闇冥と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なる、彼の土の光明は如來の智慧の報より起れり。之に觸れば无明の黑闇終に必ず消除す。光明は慧に非ずして能く慧の用を爲す、焉んぞ思議すべきや。
莊嚴妙聲功德成就とは、偈に梵聲悟深遠微妙聞十方と言へるが故にと。
此れ云何ぞ不思議なるや、『經』(平等覺經卷一意)に言はく。「若し人但彼の國土の淸淨安樂なるを聞きて尅念して生ぜんと願ぜんものと、亦往生を得るものとは、即ち正定聚に入る」。此は是國土の名字佛事を爲す、安んぞ思議すべきや。
莊嚴主功德成就とは、偈に正覺阿彌陀法王善住持と言へるが故にと。
此れ云何が不思議なるや、正覺の阿彌陀不思議にまします、彼の安樂淨土は正覺阿彌陀の善力の爲に住持せられたり、云何が思議することを得べきや。「住」は不異不滅に名く、「持」は不散不失に名く。不朽藥を以て種子に塗りて水に在くに瀾れず火に在くに燋れず、因縁を得て即ち生ずるが如し。何を以の故に、不朽藥の力なるが故なり。若し人一たび安樂淨土に生ずれば、後の時に意三界に生じて衆生を敎化せむと願じて、淨土の命を捨てて願に隨て生を得て三界雜生の火の中に生ずと雖も、无上菩提の種子、畢竟じて朽ちず。何を以の故に、正覺阿彌陀の善く住持を逕るを以ての故にと。
莊嚴眷屬功德成就とは、偈に如來淨花衆正覺花化生と言へるが故にと。