彼の佛若爲が莊嚴せる、何の處に於てか坐したまふ。是の故に先づ座を觀ぜよ。既に座を知り已ぬ、宜しく座の主を知るべし。是の故に次に佛の莊嚴身業を觀ぜよ。既に身業を知ぬ、何の聲名有しますと知るべし。是の故に次に佛の莊嚴口業を觀ぜよ。既に名聞を知ぬ、宜しく得名の所以を知るべし。是の故に次に莊嚴心業を觀ぜよ。既に三業具足せることを知ぬ、人天の大師として化を受くるに堪えたる者は是誰なるべきと。是の故に次に大衆の功德を觀ぜよ。既に大衆に无量の功德有ることを知ぬ、宜しく上首は誰ぞと知るべし。是の故に次に上首を觀ず。上首は是れ佛なり。既に上首を知ぬ、恐くは長幼に同じきことを。是の故に次に主を觀ず。既に是の主を知ぬ、主何なる增上か有しますと。是の故に次に莊嚴不虚作住持を觀ず、八句の次第成ぜるなりと。
菩薩を觀ずは、
云何が菩薩の莊嚴功德成就を觀察する。菩薩の莊嚴功德成就を觀察すとは、彼の菩薩を觀ずるに四種の正修行功德成就有りと、知るべし。
眞如は是諸法の正躰なり。躰如にして行ずれば則ち是不行なり。不行にして行ずるを如實修行と名く。躰は唯一如なれども義をして分て四と爲す。是の故に四の行一を以て正く之を統かぬ。
何者をか四と爲する。一には一佛土にして身動搖せずして十方に遍じて種種に應化して實の如く修行して常に佛事を作す。偈に安樂國淸淨常轉无垢輪化佛菩薩日如須彌住持と言へるが故にと。諸の衆生淤泥花を開くが故にと。