菩薩は入四種の門をして自利の行成就すと、知るべし。
「成就」は、謂はく自利滿足なり。「應知」といふは、謂く自利に由る故に則ち能く利他す、是自利に能ずして能く利他するに非ずと知るべしとなり。
菩薩は出第五門の廻向利益他の行成就したまへりと、知るべし。
「成就」は、謂く廻向の因を以て敎化地の果を證す、若しは因若しは果、一事として利他に能ざること有ること无しとなり。「應知」といふは、謂く利他に由るが故に則ち能く自利す、是利他に能ずして能く自利には非ずと知るべしとなり。
菩薩は是の如く五念門の行を修して、自利利他して、速に阿耨多羅三藐三菩提を成就したまへることを得たまへるが故なり。
佛の所得の法を名て阿耨多羅三藐三菩提と爲す。此の菩提を得を以ての故に名て佛と爲すと、今「速得阿耨多羅三藐三菩提」と言ふは、是れ早く作佛を得るなり。「阿」は无に名く、「耨多羅」は上に名く、「三藐」は正に名く、「三」は遍に名く、「菩提」は道に名く、統ねて之を譯して名て无上正遍道と爲す。无上は、言ふこころは此の道、理を窮め性を盡して更に過ぎたる者无し。何を以てか之を言ふとなれば、正を以ての故に、正は聖智なり、法相の如くして知るが故に稱して正智と爲す、法性无相の故に聖智无知なり。遍に二種有り。一には聖心、遍く一切の法を知ろしめす。二には法身、遍く法界に滿つ、若しは身若しは心、遍せざること无きなり。道は无碍道なり。『經』(普釋華嚴經卷五意)に言たまはく。「十方无碍人の一道より生死を出」といへり。一道は一无碍道なり、无碍は、謂く生死即是涅槃と知るなり。是の如き等の入不二の法門は无碍の相なり。 問曰。何の因縁有てか