其の佛滅度したまひてより已來、至極久遠なり。猶數へ知るべからず。何となれば『經』(法華經卷三意)に云く。「總じて三千大千世界の大地を取りて、磨りて以て墨と爲す。佛言はく。是の人千の國土を過ぎて乃ち一點を下すに、大さ微塵の如し。是の如く展轉して地種の墨を盡す。佛言はく。是の人經る所の國土、若し點ずると點ぜざると盡く抹して塵と爲し、一塵を一劫とするに、彼の佛の滅度より已來復是の數を過ぎたり。今日の衆生は乃ち是彼の時の十六王子の座下にして曾て敎法を受けき」と。是の故に『經』(法華經卷三)に云く。「是の本の因縁を以て爲に法華經を説きたまふ」と。『涅槃經』(北本卷八・南本卷八意)に復云く。「一は是王子、一は是貧人、是の如き二人互ひに相往反す。王子と言ふは今日の釋迦如來、乃ち是彼の時の第十六王子なり。貧人と言ふは今日の衆生等是なり」と。 第四に問て曰く。此等の衆生は既に流轉多劫なりと云ふ。然るに三界の中に何れの趣にか身を受くること多しと爲すや。答て曰く。流轉すと言ふと雖も然も三惡道の中に於て身を受くること偏に多し。『經』(十住斷結經卷五意)に説きて云ふが如し。「虚空の中に於て方圓八肘を量り取りて、地より色究竟天に至る。此の量内に於て所有可見の衆生は、即ち三千大千世界の人天の身よりも多し」と。故に知んぬ、惡道の身多し。何が故ぞ此の如しとならば、但惡法は起し易く、善心は生じ難きが故なり。今の時但現在の衆生を看るに、若し富貴を得つれば唯放逸破戒を事とす。天の中には即ち復樂に著する者多し。是の故に『經』(五苦章句經意)に云く。「衆生は等しく是流轉して恆に三惡道を常の家と爲す。人天には暫く來りて即ち去る。名けて客舍と爲すが故なり」と。『大莊嚴論』(卷三)に依るに、「一切衆生に勸む、常に須く繋念現前すべし」。『偈』(大莊嚴論卷三・八)に云く。「盛年にして患無き時は懈怠にして精進せず。衆の事務を貪營して施と戒と禪とを修せず。 死の爲に呑まんとするに臨みて方に悔いて善を修せんことを求む。(以上卷三) 智者は應に觀察して五欲の想を除斷すべし。