佛に白して言さく。世尊、我過去無量劫の時を念ふに、佛有して世に出でたまへり。亦釋迦牟尼佛と名く。彼の佛の滅後に一の王子有り、名けて金幢と曰ふ。憍慢邪見にして正法を信ぜず。知識の比丘有り、定自在と名く。王子に告げて言く。世に佛の像有り、極めて可愛なりと爲す。蹔く塔に入りて佛の形像を觀たてまつるべしと。時に彼の王子、善友の語に從ひて塔に入りて像を觀たてまつり像の相好を見て、比丘に白して言く。佛像すら端嚴なること猶尚此の如し、況や佛の眞身をやと。比丘告げて言く。王子今佛像を見て禮すること能はずは、當に南無佛と稱すべし。宮に還り念を繁けて塔の中の像を念ぜしに、即ち後夜に於て夢に佛像を見たてまつり、心大に歡喜して邪見を捨離し三寶に歸依す。壽命終るに隨ひて前に塔に入りて佛を稱せし功德に由て、即ち九百億那由他の佛に値遇することを得て、諸佛の所に於て常に勤精進し、恆に甚深の念佛三昧を得。念佛三昧の力の故に諸佛現前して皆授記を與ふ。是より以來百万阿僧祇劫惡道に墮せず。乃至今日首楞嚴三昧を獲得せり。爾の時の王子は、今我が財首是なりと。爾の時會中に即ち十方の諸大菩薩有り、其の數無量なり。各々本縁を説く、皆念佛に依て得たり。佛阿難に告げたまはく。此の觀佛三昧は是一切衆生の犯罪の者の藥なり、破戒の者の護なり、失道の者の導なり、盲冥の者の眼なり、愚癡の者の慧なり、黑闇の者の燈なり、煩惱の賊の中の大勇猛將なり、諸佛世尊の遊戲したまふ所の首楞嚴等の諸大三昧の始めて出生する處なり。佛阿難に告げたまはく。汝今善く持ちて愼みて忘失すること勿れ。過去・未來・現在の三世の諸佛、皆是の如き念佛三昧を説きたまふ。我十方諸佛及び賢劫の千佛と初發心より皆念佛三昧の力に因るが故に一切種智を得たり」と。又『目連所問經』の如し。「佛目連に告げたまはく。譬へば万川長流に浮べる艸木有りて、前は後を顧みず後は前を顧みず、