若し母無くんば、所生の縁即ち乖きなん。若し二人倶に無んば、即ち託生の地を失はん。要ず須く父母の縁具して方に受身の處有るべし。既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と爲し、父母の精血を以て外縁と爲す。因縁和合するが故に此の身有り。斯の義を以ての故に、父母の恩重し。母胎に懷み已りて十月を經、行住坐臥に常に苦惱を生ず。復産の時死の難を憂ふ。若し生み已りぬれば、三年を經るまで恒常にに眠りに臥す。牀被・衣服、皆亦不淨なり。其の長大するに及びて婦を愛し兒を親み、父母の處に於て反て憎疾を生じ、恩孝を行ぜざれば、即ち畜生と異なること無し。又父母は世間の福田の極なり。佛は即ち是出世の福田の極なり。然るに佛在世の時、時年飢儉せるに遇値ひて、人皆餓死して白骨縱橫なり。諸の比丘等、乞食するに得難し。時に世尊比丘等の去れる後を持ちて、獨り自ら城に入りて乞食したまふ。旦より中に至るまで門門に喚び乞ひたまへども、食を與ふる者無し。佛還盋を空しくして歸りたまふ。明日復去きたまふに、又還得たまはず。後の日復去きたまふに、又亦得たまはず。忽に一の比丘有り、道に逢ひて佛を見たてまつる。顏色常に異にして、飢相有ますに似たり。即ち佛に問ひたてまつりて言く。世尊今已に食し竟りたまふやと。佛言はく。比丘、我三日を經て已來、乞食するに一匙を得ず。我今飢虚にして力無し、能く汝と共に語らんやと。比丘佛語を聞き已りて、悲涙して自ら勝ふること能はず。即ち自ら念言すらく。佛は是無上の福田、衆生の覆護なり。我此の三衣を賣卻して、一盋の飯を買ひ取り、佛に奉上らん、今正しく是時なりと。是の念を作し已りて、即ち一盋の飯を買ひ得て、急に將て佛に上る。佛知ろしめして而も故ら問て言はく。比丘、時年飢儉にして人皆餓死す、汝今何れの處にしてか此の一盋の純色の飯を得て來れる。比丘前の如く具に世尊に白す。佛又言はく。比丘の三衣は即ち是三世諸佛の幢相なり。