但此の水の動不動の相を看て、即ち自心の住・不住を識るべし。又境現の失不失・邪正等、一に前の日觀に同じ。又天親の『讚』(淨土論)に云く。「彼の世界の相を觀ずるに、三界の道に勝過せり、究竟して虚空の如し、廣大にして邊際無し」と。此れ即ち總じて彼國の地の分量を明す。
二に「下有金剛七寶」より下「不可具見」に至る已來は、正しく地下の莊嚴を明す、即ち其の七有り。一には幢の體等しく是無漏にして金剛なることを明す。二には地を擎げて相顯映せる莊嚴を明す。三には方楞具足して、圓相に非ざることを表すことを明す。四には百寶合成して、量塵沙に出でたることを明す。五には寶千光を出して、光無邊の際に周きことを明す。六には光に異色多くして、色他方を照らし、機に隨ひて變現し、時として益せずといふこと無きことを明す。七には衆光彩を散じて日輪を映絶し、新往の者之を覩て卒に周悉し難きことを明す。讚じて云く。地下の莊嚴七寶の幢、無量無邊無數億なり。八方八面百寶もて成ず、彼を見れば無生自然に悟る。無生の寶國永く常爲り、一一の寶無數の光を流す。行者心を傾けて常に目に對じて、騰神踊躍して西方に入れ。又讚じて云く。西方寂靜無爲の樂には、畢竟逍遙して有無を離れたり。大悲心に薰じて法界に遊ぶ、分身して物を利すること等しくして殊無し。或は神通を現じて法を説き、或は相好を現じて無餘に入る。變現の莊嚴意に隨ひて出づ、羣生見る者罪皆除こる。又讚じて云く。歸去來、魔鄕には停まるべからず。曠劫より來かた六道に流轉して盡く皆逕たり。到る處に餘の樂無し、唯愁歎の聲を聞く。此の生平を畢へて後、彼の涅槃の城に入らん。
三に「瑠璃地上」より下「分齊分明」に至る已來は、正しく地上の莊嚴顯標殊勝なることを明す。此れ依持圓淨なることを明す。七寶の池林等は是能依、瑠璃の寶地は是所依なり。地は是能持、池・臺・樹等は是所持なり。此れ彌陀の因行周備なるに由て、