感報をして圓明ならしむることを致す。明淨の義は即ち無漏を體と爲す。讚じて云く。寶地莊嚴比量無し、處處の光明十方を照らす。寶閣華臺皆徧滿す、雜色朎朧として量るべきこと難し。寶雲・寶盇空に臨みて覆ひ、聖衆飛通して互に往來す。寶幢旛盇風に隨ひて轉ず、寶樂輝を含みて念に應じて廻る。惑疑を帶して生ずれば華未だ發けず、合掌籠籠として胎に處するに喩ふ。内に法樂を受け微苦無し、障盡きて須臾に華自ら開く。耳目精明にして身金色なり、菩薩徐徐として寶衣を授く。光體に觸るるに三忍を成ずることを得、即ち佛を見たてまつらんと欲して金臺より下る。法侶迎へ將て大會に入り、尊顏を瞻仰して善哉と讚めらる。「金繩」と言ふ已下は、正しく黄金を道と作し、状金繩に似たることを明す。或は雜寶を以て地と爲し、瑠璃を道と作せり。或は瑠璃を以て地と爲し、白玉を道と作せり。或は紫金・白銀を以て地と爲し、百寶を道と作せり。或は不可説の寶を以て地と爲し、還不可説の寶を以て道と作せり。或は千万寶を以て地と爲し、二三寶を道と作せり。是の如く轉た相間雜し、轉た共に合成し、轉た相照曜し、轉た相顯發して、光光色色、各各不同にして、雜亂無し。行者等但金道のみ有りて、餘寶もて道と作すこと無しと言ふこと莫れ。
四に「一一寶中有五百色光」より下「樂器以爲莊嚴」に至る已來は、正しく空裏の莊嚴を明す。即ち其の六有り。一には寶多光を出すことを明す。二には喩もて其の相を顯すことを明す。三には光變じて臺と成ることを明す。四には光變じて樓閣と成ることを明す。五には光變じて華幢と成ることを明す。六には光變じて寶樂の音と成ることを明す。又地上の雜寶、一一に各々五百色の光を出すことを明す。一一の色光、上に空中に湧きて一の光臺と作る。一一の臺の中に、寶樓千万なり。各々一・二・三・四乃至不可説の寶を以て、莊嚴し合成爲せり。「如華又如星月」と言ふは、