定んで見佛を得。亦見佛三昧增上縁と名く。

「又觀音・勢至・普・雜等の觀、及び下の九品の人の、一生起行し乃至七日・一日、十聲・一聲等、命終らんと欲する時に、見佛を願ずる者、若し現生に乃ち善知識に遇ひ、行人自ら能く心口に彌陀佛を稱念すれば、佛即ち聖衆と與に華臺にして來現したまひ、行人佛を見たてまつり亦聖衆・華臺等を見ん」(觀經意)と。又此の經を以て證す。亦是彌陀佛の三力外に加するが故に見佛を得。故に見佛三昧增上縁と名く。

又下に『經』(觀經意)に云ふが如し。「佛阿難に告げたまはく。此の經を觀極樂國土無量壽佛及觀世音大勢至菩薩經と名く。汝當に受持して忘失せしむること無かるべし。此の三昧を行ずる者は、現身に無量壽佛及び二菩薩を見たてまつることを得」と。又此の經を以て證す。亦是彌陀佛の三力外に加して、凡夫の念ずる者をして自の三心力に乘ずるが故に見佛を得しむることを致す。至誠心・信心・願心を内因と爲し、又彌陀の三種の願力に藉るを以て外縁と爲す。外内の因縁和合するが故に、即ち見佛を得。故に見佛三昧增上縁と名く。

又『般舟三昧經』(一卷本意)に云ふが如し。「佛跋陀和菩薩に告げたまはく。三昧有り、十方諸佛悉在前立と名く。若し疾く是の三昧を得んと欲はん者は、常に當に守りて習持して疑想毛髮の如き許も有ることを得ざるべし。若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、是の三昧を行學せんと欲はん者は、七日七夜、睡眠を除去して、諸の亂想を捨て、獨一に處止して、西方の阿彌陀佛の身は、眞金色にして三十二相あり、光明徹照し、端正なること比無きを念ずべし。一心に觀想して、心念口稱、念念に絶えざる者は、