命終らんと欲する時、願力攝して往生を得しむ。故に攝生增上縁と名く。

又此の『經』(大經意)の上卷に云はく。「若し衆生有りて、西方の無量壽佛國に生ずることを得る者は、皆彌陀佛の大願等の業力に乘じて增上縁と爲す」と。即ち證と爲す。又是攝生增上縁なり。

又此の『經』(大經意)の下卷の初に云はく。「佛説きたまはく。一切衆生、根性不同にして、上中下有り。其の根性に隨ひて佛皆勸めて無量壽佛の名を專念せしむ。其の人命終らんと欲する時、佛聖衆と自ら來りて迎接して、盡く往生を得しむ」と。此れ亦是攝生增上縁なり。

又『觀經』の第十一觀、及び下の九品の如し。皆是佛の自説にして、定散の二行を修する人、命終の時一一に盡く是彌陀世尊、自ら聖衆と、華臺に授手し迎接して往生せしむ。此れ亦是攝生增上縁なり。

又『四紙彌陀經』の中に説くが如し。(意)「佛言はく。若し男子・女人有りて、或は一日・七日、一心に彌陀佛の名を專念すれば、其の人命終らんと欲する時、阿彌陀佛諸の聖衆と、自ら來り迎接して、即ち西方極樂世界に往生することを得しむ。釋迦佛言はく。我此の利を見るが故に此の言を説く」と。即ち證と爲す。此れ亦是攝生增上縁なり。

又四十八願の中に説きて云ふが如し。(大經卷上意)「設ひ我佛を得んに、十方の衆生、菩提心を發し、諸の功德を修し、至心に發願して、我が國に生れんと欲はん、命終の時に臨みて、我大衆と與に其の前に現ぜずば、正覺を取らじ」と。此れ亦是攝生增上縁なり。

又下の願に云ふが如し。(大經卷上意)「設ひ我佛を得んに、十方の衆生、我が名號を聞きて、念を我國に計け、至心に廻向して我が國に生れんと願ぜん、