果遂せずば、正覺を取らじ」と。此れ亦是攝生增上縁なり。

又下の願に云ふが如し。(大經卷上意)「設ひ我佛を得んに、十方世界に、其れ女人有りて、我が名字を聞きて、歡喜信樂し、菩提心を發して、女身を厭惡せん。命終の後、復女身と爲らば、正覺を取らじ」と。義に曰く。乃ち彌陀の本願力に由るが故に、女人佛の名號を稱すれば、正しく命終の時、即ち女身を轉じて男子と成ることを得。彌陀手を接し菩薩身を扶けて寶華の上に坐せしむ。佛に隨ひて往生し、佛の大會に入りて無生を證悟す。又一切の女人若し彌陀の名願力に因らざれば、千劫・万劫・恆河沙等の劫にも、終に女身を轉ずることを得べからず。應に知るべし。今或は道俗有りて、女人は淨土に生ずることを得ずと云はば、此は是妄説なり、信ずべからず。又此の經を以て證す。又是攝生增上縁なり。

[五縁功德分 證生縁]
又證生增上縁と言ふは、 問て曰く。今既に彌陀の四十八願、一切衆生を攝して淨土に生ずることを得しむと言はば、未だ知らず、何等の衆生を攝して生ずることを得しめ、又是何人か得生を保證するや。答て曰く。即ち『觀經』に説きて云ふが如し。「佛韋提に告げたまはく。汝今知るやいなや。阿彌陀佛、此を去ること遠からず、汝當に計念して諦かに彼の國の淨業成じたまへる者を觀ずべし。又未來世の一切の凡夫をして、西方の極樂國土に生ずることを得しめん」。今此の經を以て證す。但是佛滅後の凡夫、佛の願力に乘じて定んで往生することを得。即ち是證生增上縁なり。

又問て曰く。釋迦の説敎、衆生に示悟す。何が故ぞ一種の佛法に、即ち信不信有りて、共に相譏毀する者は、何の所以か有る。答て曰く。凡夫の機性に其の二種有り。一は善性の人、二は惡性の人なり。其の善性の人とは、一には聞きて即ち惡を捨てて善を行ずる善人なり。