邪見にして師を疑ひ、無戒にして虚しく信施を受く。この因縁を以ての故に餓鬼・地獄に墮して、八万歳苦を受く。今出づることを得たりと雖も、無量世に於て諸佛を見たてまつらず、但佛の名のみを聞けり。今佛身を見たてまつるも赤土の色の如く、正しく長五尺なり。佛語を説き已りたまふに、千の比丘等、佛に向ひて懺悔し、五體地に投ぐること太山の崩るるが如くにし、悲號して涙を雨らす。猶し風吹きて重雲四に散ずるが如くにして、金顏を顯發す。既に佛を見たてまつること已りて、比丘歡喜し菩提心を發す。佛父王に告げたまはく。此の千の比丘、慇懃に法を求めて心に懈息無し。佛授記を與へて同じく南無光照如來と號す」と。已前の懺悔の法は、『觀佛三昧海經』の第二・第三卷に出でたり。

『佛説觀佛三昧海經』密行品第十二卷第十にいはく。「佛阿難に告げたまはく。未來の衆生、其れ是の念佛三昧を得ること有らん者、佛の諸の相好を觀ぜん者、諸佛現前三昧を得ん者、當に是の人に敎ふべし。身口意を密にして、邪命を起すこと莫れ、貢高を生ずること莫れ。若し邪命及び貢高の法を起さば、當に知るべし、此の人は是增上慢なり。佛法を破滅し、多く衆生をして不善心を起さしむ。和合僧を亂して、異を顯し衆を惑はす。これ惡魔の伴なり。是の如きの惡人、復念佛すと雖も、甘露の味を失す。此の人の生處、貢高を以ての故に身恆に卑小にして、下賤の家に生ず。貧窮諸衰にして、無量の惡業以て嚴飭と爲す。此の如きの種種衆多の惡事、當に自ら防護して永く生ぜざらしむべし。若し是の如きの邪命の業を起さば、此の邪命の業は、猶し狂象の蓮華の池を壞するが如し。此の邪命の業も、亦復是の如く、善根を壞敗す。佛阿難に告げたまはく。念佛すること有らん者は、當に自ら防護して放逸せしむること勿るべし。念佛三昧の人、若し防護せずして、貢高を生せば、邪命惡風憍慢の火を吹きて、善法を燒滅す。善法とは、所謂一切無量の禪定、諸の念佛の法にして、心想より生ず。是を功德藏と名く。 佛阿難に告げたまはく。此の經をば繋想不動と名く、