是の如く受持すべし。亦觀佛白毫相と名く、是の如く受持すべし。又逆順觀如來身分と名く、亦一一毛孔分別如來身分と名く、亦觀三十二相八十隨形好諸智慧光明と名く、亦觀佛三昧海と名く、亦念佛三昧門と名く、亦諸佛妙華莊嚴色身經と名く。汝好く受持して愼みて忘失すること勿れ」と。又『大集經』の濟龍品(卷四四意)に説くが如し。「時に娑伽羅龍王、佛を請じて宮に入れて供を設く。佛龍の請を受く。佛聖衆と食し已んぬ。時に大龍王、又説法を請ふ。時に龍王の太子あり、名をば華面と曰ふ。自ら佛前に起ちて、四支を地に布きて悲聲もて懺悔す。過去に何なる罪業を作りてか此の龍身を受けたる」と。又此の經を以て證す。亦是懺悔至誠の方法なり。應に知るべし、一切經内に皆此の文有り。廣く録すべからず。今三部の經を略抄して、以て後學に示す。至心ならざるをば除く。作さん者皆知れ。佛は虚言したまはず。又『木槵經』(意)に説くが如し。「時に難陀國の王あり、波瑠璃と名く。使を遣はして佛所に來到せしめ、佛足を頂禮して、佛に白して言さく。世尊、我が國邊小にして、頻歳寇賊有り、五穀踊貴し、疫疾流行して、人民困苦す。我恆に安臥することを得ず。如來の法藏は多くして悉く深廣なれども、我憂務有りて修行することを得ず。唯願はくは世尊、特に慈愍を垂れて我に要法を賜ひ、我をして日夜に修行することを得易く、未來世の中に、衆苦を遠離せしめたまへ。佛使に告げて言はく。卿が大王に語れ、若し煩惱障・報障を滅せんと欲せば、當に木槵子一百八を貫きて、以て常に自ら隨つべし。若しは行若しは坐若しは臥に、恆に當に心を至して分散の意無く、口に佛陀・達磨・僧伽の名を稱して、乃ち一の木槵子を過くるべし。是の如くにして若しは十、若しは二十、若しは百、若しは千、乃至百千万せよ。若し能く二十万徧を滿たすまで、身心亂れずして諸の諂曲無くば、捨命して第三の炎摩天に生ずることを得、衣食自然にして常に安樂を受けん。