豈此の益无からんや。彼の一生に惡業を作れるもの、臨終に善友に遇ひ、纔に十び念佛して即ち往生することを得。是の如き等の類、多くは是前世に、淨土を欣求して彼の佛を念ぜし者の、宿善内に熟して、今開發するのみ。故に『十疑』に云く。「臨終に善知識に遇ひて、十念成就する者は、並是宿善強く、善知識を得て十念成就するなり」と。云云 感師の意も亦之に同じ。 問。下下品の生、若し宿善に依らば、十念せば生るとの本願は、即ち名のみ有りて實无けん。答。設ひ宿善有りとも、若し十念すること无くば、定んで无間に墮して苦を受くること窮无けん。明けし、臨終の十念は、是往生の勝縁なり。
[一〇、問答料簡 往生多少]
第三に往生の多少とは、『雙卷經』(大經卷下意)に云く。「佛彌勒に告げたまはく。此の世界より六十七億の不退の菩薩ありて、彼の國に往生せん。一一の菩薩は、已に曾无數の諸佛を供養せりき。次で彌勒の如し。諸の小行の菩薩、及び少功德を修する者、稱計すべからざる、皆當に往生すべし。他方の佛土も、亦復是の如し。其の遠照佛の國の百八十億の菩薩、寶藏佛の國の九十億の菩薩、无量音佛の國の二百二十億の菩薩、甘露味佛の國の二百五十億の菩薩、龍勝佛の國の十四億の菩薩、勝力佛の國の万四千の菩薩、師子佛の國の五百の菩薩、離垢光佛の國の八十憶の菩薩、德首佛の國の六十億の菩薩、妙德山佛の國の六十億の菩薩、人王佛の國の十億の菩薩、无上花佛の國の无數不可稱計の不退の諸の菩薩、智慧勇猛なり。已に曾无量の諸佛を供養し、七日の中に於て、即ち能く百千億劫の大士の所修の堅固の法を攝取す。无畏佛の國の七百九十億の大菩薩衆と、諸の小菩薩、及び比丘等、稱計すべからざる、皆當に往生すべし。但此の十四の佛中の諸の菩薩等のみ當に往生すべからず、