之に依て七日するに果然として華萎み黄ばまず。綽其の深詣を歎ず。因みに入定して當に生ずることを得べしや否やを觀ぜんことを請ふ。導即ち入定し、須臾にして報へて曰く。師當に三の罪を懺め方に往生すべし。一には師甞て佛の尊像を安じて、檐牖の下に在きて、自らは深房に處れり。二には出家の人を驅使策役す。三には屋宇を營造するに、蟲の命を損傷す。師宜しく十方の佛の前於して第一の罪を懺し、四方の僧の前於して第二の罪を懺し、一切衆生の前於して第三の罪を懺すべしと。綽公靜かに往の咎を思ふに、皆虚しからずと曰ふ。是に於て心を洗ひて悔謝し訖りて導に見ゆ。即ち曰く。師の罪滅しぬ。後當に白光有りて照燭すべし、是師の往生の相なりと。已上『新修往生傳』 爰に知んぬ、善導和尚は、行三昧を發し、力め師の位に堪へたり。解行凡に非ざること、將に是曉けし。況や又時の人の諺に曰く。佛法東行してより已來、未だ禪師のごとく盛德あるもの有らず。絶倫の譽、得て稱すべからざる者か。加之、『觀經』の文疏を條録せしの刻、頗る靈瑞を感じて、屡々聖化に預る。既に聖の冥加を蒙りて、然も經の科文を造る、世を擧りて「證定の疏」と稱す。人之を貴ぶこと佛の經法の如し。即ち彼の『疏』の第四卷(散善義)の奧に云く。「敬ひて一切の有縁の知識等に白す。餘は既に是生死の凡夫、智慧淺短なり。然るに佛敎幽微にして敢て輒く異解を生ずべからず。遂に即ち心を摽し願を結して、靈驗を請求す。方に心を造め盡虚空徧法界の一切の三寶、釋迦牟尼佛・阿彌陀佛・觀音・勢至、彼の土の諸の菩薩大海衆、及び一切の莊嚴相等に南無し歸命したてまつるべし。某今此の觀經に要義を出して、古今を楷定せんと欲す。若し三世の諸佛・釋迦佛・阿彌陀佛等の大悲の願意に稱はば、願はくは夢の中於して、上の所願の如きの一切境界の諸相を見ることを得しめたまへと。