これをたのみてひとすじに忠節をつくすべきに、まさしき主君にしたしみながら、かねてまた、うとくとおき人にこころざしをつくして、この人、主君にあいて、よきさまにいわんことをもとめんがごとし。ただちにつかえたらんと、勝劣あらわにしりぬべし。二心あると一心なると、天地はるかにことなるべし。これにつきて、人うたがいをなさく、「たとえば人ありて念仏の行をたてて毎日に一万遍をとなえて、そのほかは、ひめもすにあそびくらし、よもすがらねぶりおらんと、またおなじく一万をもうして、そののち経をもよみ余仏をも念ぜんと、いずれかすぐれたるべき。『法華』に、「即往安楽」の文あり。これをよまんに、あそびたわぶれにおなじからんや。『薬師』には、八菩薩の引導あり。これを念ぜんは、むなしくねぶらんににるべからず。かれを専修とほめ、これを雑修ときらわんこと、いまだそのこころをえず」と。いままたこれを案ずるに、なお専修をすぐれたりとす。そのゆえは、もとより濁世の凡夫なり。ことにふれてさわりおおし。弥陀これをかがみて易行の道をおしえたまえり。ひめもすにあそびたわぶるるは、散乱増のものなり。よもすがらねぶるは、睡眠増のものなり。これみな煩悩の所為なり。たちがたく伏しがたし。あそびやまば念仏をとなえ、ねぶりさめば本願をおもいいずべし。専修の行にそむかず。一万遍をとなえて、そののちに他経・他仏を持念せんは、うちきくところたくみなれども、念仏、たれか一万遍にかぎれとさだめし。精進の機ならば、ひめもすにとなうべし。念珠をとらば、弥陀の名号をとなうべし。本尊にむかわば、弥陀の形像にむかうべし。ただちに弥陀の来迎をまつべし。なにのゆえか、八菩薩の示路をまたん。もっぱら、本願の引導をたのむべし。わずらわしく、一乗の功能をかるべからず。行者の根性に上・中・下あり。上根のものは、よもすがら、ひぐらし、